学習記を書きます。
你说得对。nǐ shuō de duì 。
よく耳にするフレーズです。
对。 duì 。だけで通用するんです。何不自由する事無く。ただ、味が無いです。
说得は、その意味で、”对”という表現主眼の為の 補足、つまり補語なんです。
しかしながら、中国語の教科書では、得对が補語だと説明される。
この辺りで、初学者は、補語の意味のグルグル無限ループにはまる。
中国語というのは、私の感覚では、イチイチ動作を前に付け足すんです。
吃饱。日本人的感覚からすると、饱了。だけで充分だと思うんです。
中国の実際の会話でも”饱了。”だけ、は有るし、普通に話されてる。
じゃあ、なんで、余計な動作を付け足すのか?言葉のアジの部分じゃないかなあ。。。
对。 duì 。だけより、你说得对。nǐ shuō de duì 。のほうが、アジがあって、強調される。
もう一つは、中国語では、動作が主軸になってるんじゃないかなあ。。。
本来、说得は補語なのだと、中国語教科書でも解説されてたら、何の問題も無いんです。
得对。が、補語だと解説されてるから、無限ループが始まる。
何なんでしょうねエ。。。感覚の違いなんです。日本では、公衆トイレでトイレットペーパーが有るのは常識、中国では、トイレットペーパーが無いのが常識なんです。
例えとしてどうなのか解らないですが、それくらい根本が違うんです。コトバも同様です。
コトバも、常識が違うんです。
日本語の場合、最後のコトバが、結論で、前書きの枝葉はどうでも良いという常識が有る。
それが当たり前の世界で生きてる。
いきなり、中国語が出てくる。
中国語の常識は、根本的に違うんです。これが日本人には解らない。トイレットペーパーの様に解らない。
中国語の軸は、動作です。動詞の活用がないので、その代わりイチイチ動作を言って、時間経過を表現してるんだと思う。だから、吃饱とか、日本人からすると、まどろっかしい表現になるんだと思う。
日本語的に考えて、どう考えても補語じゃ無くて主眼でしょう?という疑問は、この辺りで発生してると思う。根本的に軸が違うんです。日本語はケツが軸です。中国語は、動作が軸なんです。
だから、イチイチ動作を言う。
酔ったので、今日終わります。
以上
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