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1ドル¥160。岸田はウハウハ。/補語とは主述句じゃない?

 1ドル¥160。岸田は困ってると思いますか?困ったような顔をしてテレビに出るが、内心ウハウハだと思います。円安で物価がガンガン上がってるんです。消費税の税収もガンガン上がってる。外人が山ほど来て、ガンガンお金を落としていってくれる。岸田はウハウハ言ってるんですヨ!物価高で国民はヒーヒー言ってる?そんな事、岸田は一切気にしてないですヨ。国民の手前困ったような顔をしてるだけ、実際、岸田は日銀に金利を上げるなと指示しているという記事も見た。金利をダイレクトに上げれない日銀が考え出した方法が、国債をどうのこうの。それも具体策は7月の発表と先送り。 
岸田には、今日辞めて欲しいです。


 学習記書きます。
买不到。mǎi bù daò 。
今日は、この辺りどうでしょうか。。。
 機械の訳は「買えません。」 まあ、そんなとこかなあ。。。

一般にこの句と言うかフレーズは、可能補語と解説されてる。う~ん。。。確かに”买”という動作を”不到”と補足説明してるので、補語なのか。。。一応何となく理解したような気になるのですが、
吃饱。 chī baǒ  は、どうですか?「お腹一杯。」です。”吃”が”饱”の補足をしてると思いませんか?
(これは結果補語というヤツですが。)
日本語で考えるから、この矛盾が起こる。中国文法で補語というのは、一貫して補足してるんだと思う。日本語で考えた瞬間、補語補足で無くなる。それで、「補語」と言うのが、学習者は理解出来なくなる。学生は、理解出来なくなり最後は放棄する。中国人の先生は、ナゼ理解出来ないんだ?学生に能力が無い!で終わる。翌年の新入生も同じ。「補語」が理解出来ないのでギブアップ。先生はナゼ理解できない?100年やっても同じ繰り返しだと思う。
 私がどう考えてるか?補語という文法用語を失くしましょう。中国語は全て主述文なんです。非常に単細胞的に単純なんです。この補語フレーズというのは、主述文(句)と私は考えてます。
主語+述部 

”买” 主語(話題)

”不到” 述部(説明)
こう考えると、”吃饱。” も確かに、補足の役目をしてるんですね。。。


 昼間から飲むと、酔うワ。
以上

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