なんのダメージかというと、せっかく私のブログを読んでいただいた方がフォローして下さったのに、あれこれ触っているうちにブログ村を退会してしまいました。再度登録しましたが、公開先に立たず。かなりダメージ受けてます。でも書きます。
始めてベトナムに行ったのは あれはまだ大阪→ベトナムの直行便がなくて、行きも帰りも香港で1泊必要でした。機内で5-6枚の入国用の書類が配られ書かされました。何事も几帳面な国で 空港での入国審査も他の国より時間がかかりました。食べ物はやはり独特でほとんど食べれません。体重は測ってませんが、帰国時はかなり痩せてたハズです。
何故ベトナムの話かというと、始めて行った時のインパクトが強すぎたからです。当時手足の無い人たちが街のあちこちにいました。地雷の原因です。街ではアメリカ兵の遺品のzippoが山積みにされて売られてます。売れるからみんな拾い集めます。拾い集めることで手足あるいは命を失った人がたくさん居るのです。”草むらには入るな!”と私も言われてました。ある日、ホテルの入口に立っていたとき、あるものが 私の足元を遠いすぎるのを感じました。犬か。。と思って何気なく見ると人間の顔が私を見上げているのです。目と目があいました。両足が無く、t-shirtを引きずってたのですが、多分胴体の一部も無いのだと思います。誰かに作ってもらった台車にのって手で漕いでる状態です。あまりにショックで仕事も手につきません。人間とはあのような状態になってもまだ生きてるんだ。私の仕事上の悩みなんて 悩みでも何でもない。そうおもいました。戦争体験のない私ですが、本当の生の戦争はもっと悲惨なことであろう。
生きるためには何か食べないといけないのですが、独特の香草が添えてあるラーメンがどうも食べれなくて、次にベトナムに出張したときはnissinのカップヌードルを荷物に入れられるだけ入れて出張したものです。ホーチミン市街地にはコンチネンタルhotelという立派なhotelがありましたが、私のような弱小はそんなhotelに泊まれる訳もなく、中心から離れた安hotelで、どこの国から仕入れた中古のクーラーか知りませんが、その轟音で眠れない夜を過ごしながら”そうか、ここはベトナムなんだ。何故私はここに居るのだろう。”とか思いながら朝方やっと眠りに落ちてました。ただ滅多に来ない客先の接待に同席したときのフランス料理は本当においしかったです。(旧フランス領なので。)(あるいはお腹が空きすぎてそう思ったか?)
ベトナムで唯一食べれるものがありました。hotelの前の路上でやってる屋台です。出張中は毎晩この屋台で食べてました。まずビール888です。それと蒸した鶏肉。最後ラーメン。これが最高。この屋台の親父は私が通りの角を曲がって現れると、手を一度叩き、私を指差し、私が着席のときは既にビールと鶏肉がテーブルに載ってる。最後のラーメンは私のgoサインと共に。ここの親父さん、日中戦争のときベトナムに逃げてきたのだそうです。逃げてきたら今度はベトナム戦争。”私の人生の大半は戦争だ。”と言ってました。
ベトナムの話で思い出したことがあるので書きます。会社の人間でビザ無しでベトナム出張した人がいました。かなりの量の入国審査書類に紛れてビザがないまま通過してしまったようです。hotelでも発見されそうなようなものですが、有り得ないことなのでここでもまたスルーされてしまった様です。本人に自覚がないので、挙動不信な行動もない。発見されたのは帰国のときの出国審査です。”ビザがないじゃないか。すぐ日本へ帰りなさい。” 強制送還です。 当人は”はい”と返事して海外出張を無事終え 普通に帰国してきました。
もうひとつ。あれはベトナムからの帰国で香港に一泊した夜です。一ヶ月の出張を終えベトナムの食事で不自由していた私はhotelのチェックインを済ませると一直線に九龍の日本料理屋に行き その名も”大阪”という店だったと思います。カウンターでビールとざるそばとうな丼を注文し、一気食いしてました。隣で飲んでたアロハを着た少々ヤバそうな雰囲気の年配の人に声をかけられました。日本人です。久々に話す。日本人との日本語の会話。ベトナムに一ヶ月行っていた話をすると、その人は、ベトナムの紙幣を子供に見せるからくれ。ということなのでいくつか渡すと、”飲みに連れて行ってやる。”と私をつれてhotel ペニンシュラまで行くと、”着替えてくるから少し待っててくれ”と言い残して中に入っていきました。しばらくすると出てきましたが、今度はスーツです。接待で使っている店だと思います。店に女性達ももどうも私を客先と思っていたようです。しばらくすればすぐバレましたが。。香港での楽しい思い出をいただきました。名刺も頂きましたが、東証一部の某機械メーカーでした。帰りに際”一人でこの店来ちゃダメだよ。”と言われました。かなり高い店なのだと思います。 読者の方々、私のとったこの行動は非常に危険な行動です。たまたま結果オーライでしたが、ひとつ間違うと命に関わる。真似しないように! じゃあ、全部壁を作ってhotelから一歩も出ない? それもどうなんでしょう?結局は 相手を見抜く眼力だと思います。眼力 読んで字の如し。眼の力。相手の目をみて話すと大体解るようになります。(私も最近気づいたのですが。)
学習記を書かないといけない。何かくかなあ?
”中国語学習記”と銘打ったので、少しだけかこうかな。
”骂” ”マー” について書きます
中国に仕事で出張していたとき、出張先の工場のスタッフとリラックスした感じで仕事の話をしてたのですが、私が ”まあ。。。”といって次に言うことを考えていると、相手の顔つき、態度が明らかに変わりました。緊張というか警戒というかそんな感じです。マーの第4声の ”骂” (怒る)と聞き間違えしていたようです。一度なら忘れてますが度々このような状況があったので覚えてます。
何がいいたいかというと、中国語には四声がありそれぞれ意味が違うということはご存じでしょうが、この ”まあ。。。” がたまたま中国語の”骂”と同じだったのです。工場に対しいつも文句ばっかり言ってクレームしてたので、私のこの何気ない発言に相手は警戒したのです。私は極力 この”まあ。。。”を使わないように気はつけてます。口癖なので言っちゃうけど。
以上
コメント
実験的にコメントしてみます。
こんにちは(^o^) ベトナムの話が生々し過ぎですが、似たお話を昔聞いたことがありました。心の片隅に残しておきたい記憶です。頻繁に思い出すと辛いですが。