テレビの話ですが、狩野英孝というのは本当おもしろいですね!ハッキリは覚えてないですが、以前見た番組で、鉄人の足の上に置いてある瓦だったか?何かを狩野英孝がハンマーで割る設定だったと思う。ワザとではないと思うが、彼はねらいが外れて鉄人の足を直接ハンマーで打ってしまった。鉄人の顔は画面には出ないが、狩野英孝のあせった顔だけが放送されてた。今でも彼の顔を見るたび思い出し、ひとり笑ってる。
仕事帰りに新橋駅のエレベーターを見つけました。これは便利です。なぜか駅のエレベーターは動きが遅い。呼んでもなかなか来ない。のろのろとホームの階まで行くのだが今度はドアが開かない。しばらく待っても開かない。いったい どうなってるんだ!? 後ろにあるドアが開いてました。新橋のエレベーターに乗る方は注意してください。
仕事帰りにビルの工事をしている現場を、私は立ち止まり観察していた。重機をトラックに積み込む作業だ。クレーンのような機械で吊って、タテ位置ヨコ位置を手合図で微妙な調整を行いながら3人がかりでやっている。やっとトラックに収まった。収まった製品を見てクレーンの操作をしている人が言った。台座の材木が敷いてない。見るとトラック前部に積んである荷物はちゃんと材木の台座が敷いてある。多分10分か20分前に彼らが積んだのだと思う。気が付いて彼らは笑っていた。3人全員のエラーなのだが、お互い笑ってる。なんてすばらしい労働環境だろう!なんてすばらしい現場!人の失敗を絶対に許さないというワケの解らないルールが自然に出来上がってるつぶれそうな会社と次元が違う。この記事をもし偶然見られた方で もし仕事を探しておられる方がいたら、言っておきます。貧乏な会社には就職しないように!貧乏はコロナのように社員にも移ります!裕福な会社に就職すると社員にも裕福が移ります。
思い出してみると、東日本大震災の頃 まだスマホはそれほど普及してなかった。WI-FI環境も家では整ってなくてパソコンを繋ぐのも苦労してた。10年でこれほど変わるのですね。もう10年先はどうなっていることだろう?私は既に古い人間の範疇なので、想像できないです。これほどスマホが普及してきて感じるのは、スマホのおかげで知る機会がある程度平等になってきたのではなかろうか。知りたいと思えば、スマホさえあれば知ることが出来る。私が高校の時は、英語の基本5文型と言われるものは、授業で習った記憶が無い。学習塾にでも行けば習うのかも知れないが、授業では無かった。本屋の立ち読みとかで知るわけです。部活も一応してたので平日は本屋へ行けない。試験期間中は部活が強制的に休みになるので、100%本屋へ立ち読みに行ってた。どうしても欲しい本は母親に頼んで本代を貰ってた。英語の目的語Oと補語Cの違いが分からなくて、かなりの期間調べたものです。学校の授業では目的語なのか補語なのか?という内容の授業は無かった。進行形だとか完了形だとか教科書に載ってる通りの事しか教えない。補語と目的語の違い程度なら 今ならスマホで 「補語C=主語の関係が成り立つが、目的語Oの場合は成り立たない。」という私がかなりの時間をかけて調べたことが、一瞬で出てきます。正直、私は 今の若い人たちがうらやましいです。
くだらない話ばかり書いてしまいました。学習記を書きます。吃得惯吗?このあたりどうでしょうか?このフレーズ一般には様態補語とかの解説になるのでしょうか?私の場合 様態補語だとか状態補語だとか考えると さっぱり訳が解らなくなるので、補語とか一切考えません。私の連述文で考えます。惯吗?「慣れましたか?」:主眼です。吃得「食べるのは」:修飾語です。非常にシンプルで非常に簡単です。「食べるのは、慣れましたか?」です。では吃惯吗?とならず、得が入るのでしょうか?答えは様態補語だからです。様態補語というコトバを否定しておきながら、得が入る理由として様態補語だからと言うのは卑怯ですが、あんまりいろいろ同時に考えない方がいいです。中国語のフレーズの意味を読み解く場合にに限定して今は考えましょう。エッ?納得いかない?じゃ、少しだけふれときます。ふたつの動詞が直接並ぶパターンは、結果補語とか来,去を含む文章の場合とかに限られます。基本二つの動詞は直接並ばないのです。この例文の場合直接並んでしまうので、二つの動詞の関係性を明らかにするために 得 を入れたのだと思います。関係性だけ考えると確かに 惯 は 吃 を補足説明していると言える。このあたりが様態補語なる文法用語の起源かも知れない。ただし、これ今考えないでください。これ考えるとそのフレーズの意味は読み解けなくなります。以上です。
量的ににも内容的にも足りないと自覚しましたので、もうひとつ書きます。好多年出现一次。このあたりどうでしょうか? 出现一次。これは述語です。一次 は動量補語です。 (問題ないですね?別ブログで書いてますが、私は 動量補語だけは補語として認めてます。補語の働きをしてるし、名前通りでスンナリ入ってくる。) で、このフレーズをワザワザ持ち出した理由ですが、 好多年 は何でしょうか? 直訳すると「すごく多い年。」くらいかなあ。。これって代表的な修飾語の部類に入る単語だと思います。「すごく長い年月で、一回だけ出現する。」くらいの意訳が出来る。出来るのだが、私は、この 好多年 は主語ではないかと思うのです。主語=話題です。なんでも話題になります。いちばん言いたい話題が主語です。
もうひとつだけ、書きます。「没有意思。」です。日本語的に考えて、「意味が無い。」と考えていた私は、このフレーズを何回も使っていたのですが、会社の台湾人の大先輩に、怒られました。彼は私が言いたい意味を理解していた。だが、私の話を聞いている台湾makerの方々はチンプンカン?大先輩は私に言いました。「没有意思。」じゃなくて「没有意义。」だと。
今日は本当にここまでにしときます。
コメント