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コバエ取りを買いに行きました。/学習記:因该把垃圾放在袋子里,然后扔掉。その2

 コバエ取りを買いに行きました。どうしても生ごみは出るし、ごみ回収の曜日は決まってるのですぐ捨てることも出来ない。仕事に行ってる間、部屋の中はかなり熱くなるがそうなるともうショウジョウバエの天下です。家に帰った私はクーラーでマズ部屋を冷やす訳です。だいぶ落ち着いてくるとブログなども書き始めるわけだが、コバエがまとわりついてどうしようも無い。キンチョールを振りまくのだが、振りまいても振りまいても出てくる。いったいどこから出てくるのか知らないが、無限に出てきてブログに集中できない。サスガに今日は、イオンまで買いに行きました。すぐに設置したのでハエ取り器にどんどん入っていくと予想していたが一匹も捕獲できない。捕獲も出来ないしハエも全然いない。ひょっとして、コレ捕獲じゃなくてハエを追っ払うの?箱の説明を見ると”ハエをしっかりキャッチ”のうたい文句であるが、呼び寄せるとは書いてない??とりあえずハエが居ないので、どっちでもイイか。。イオンに買い物に行くと、私、車も自転車も無いのでトータル1時間半はかかるが、ちょっと出るだけなのでスマホを持ちませんでした。途中、民家の前にユリが咲いてました。本当の山ユリは、そうそう、今ごろ咲くのです。夏休みのお盆前の台風などくるこの蒸し暑いシーズンです。スマホは持ってないとダメですね。シャッターチャンスを失いました。出直せば撮れますヨ。。しかし私もヒマな人間ではありますが、いろいろやることもあるわけで。。

学習記を書きます。前回の二つの例文です。
因该把垃圾放在袋子里,然后扔掉。
yīn gāi bǎ lā jī fàng zài dài zǐ lǐ , rán hòu rēng diào 。
我踩在香蕉皮上,摔倒了。
wǒ cǎi zài xiāng jiāo pí shàng , shuāi dǎo le 。
 この二つの例文の ”在”は介詞なのか否か?です。介詞の補語だという説もあるのですが、前回ブログで私は介詞でもないし補語でもない。単なる述語が二つ重なった文という事で終わりましたが、スッキリはしてない。この件、私が中国語とかかわり始めた当初からの疑問なのでここ2~3日で結論が出るとは思えなかったが私は考えた。仕事中も考えた。ネットで探ってると、似たような例で「放在这儿。と在这儿放。はどう違いますか?」という質問があった。ネイティブの方の回答は2種類有った。
1)ふたつの文に差は無いが、 放在这儿。 と言うのが普通で一般的。
2) 在这儿放。 は、単独では用いない。例えば、在这里放一把椅子。とか在那里放两个花盆。の形で使う。
 二人とも、どちらかが間違いだとは言ってない。これが普通なのだと思う。もちろん文法的に分析せよ!との事であれば、介詞の補語の用法だとか出てくるとは思いますが、一般の人はそんな事は考えてない。まさに「みんながそう言ってるからそう言う。」の理屈で、文法は各個人の頭の中で整理されてるのだと思う。そう考えると、私だけが言ってる「単なる、述語が重なった連述文。連述文の前か後が主眼で、残りは飾り。」という超原始的な整理の仕方も、間違ってない!介詞というコトバも、補語と言うコトバも必要ありません。nativeの方もこのレベルの整理の仕方で会話をされてるのではないでしょうか?
 今回の件を考えながら思ったのは、じゃあ、その原始的な単なる述語が二つ重なった文は、どちらが前で、どちらが後ろなの?という疑問です。思うに、その述語が発生した順のような気がする。述語を二つ重ねる方法を発見した当時は極めて普通のことだと思う。では、発生が同時な時は?あるいは発生時点がハッキリしない場合は?言い方は、この連述文発生当時バラバラだったのだと思う。後々、文法なる学問が出てきて整理された方が介詞と言うコトバを作った。あまりに頻繁に使われる  在  の連述文、  在 ~(連述文の前部:修飾) の用法の  在  が、もはや本来の”在る”とか”存在する”とかの意味ではなく ”~で” くらいの意味で使われ始めたとき言葉を研究されてる方が介詞なる言葉を作られた。介詞フレーズの定義は「述語の修飾に用い、述語の前に位置する。」ところが、もともとの述語を重ねて使用する表現というのは、述語の発生順の原理で始まったのだとは思うが、物事そう白黒ハッキリしない。個人個人の受け取り方、考え方、どちらが先に発生したのか定かでないパターンとかあって、バラバラ。介詞の定義からはみ出したんが、上記の二つの例文の類。「介子は補語として用いられる。特に時間とか場所に関係したもの。」という説明がたった一行だけある本を発見しました。読んだ私の感想は「こんな、後から後から例外を作られたらキリが無いよ!中国語をまじめに文法から入ろうとしている人はアキラメちゃいますよ!」普通の文法書には、こんな事は書かれてませんし、探し当てたこの本にも一行だけ、公に言ってはいけない秘密の様に書かれてました。これだから中国語は、いつまでたっても「習うより慣れろ!」高校野球の根性論のようにこれだけなのです。この 「習うより慣れろ!」 理論に対応できた人だけが中国語をマスターできるのです。だから、日本人で中国語を話す人は少ない。

 この、 日本人で中国語を話す人は少ない。の件、少し話します。普通話せる人が少ないと希少価値でステイタスが上がるハズなのですが、中国語に関してはそうはいかない。日本語を勉強した中国の方がバンバン日本に来てるので、中国語を話せる日本人は不要なのです。日本語を話せる中国の方は、いくらでも安く雇えます。ストレートに考えると、中国語なんか学習するより、損得考えるなら桁違いに英語の方が得なんです。でも、私中国語なんです。偶然の出会いとでも言おうか、たまたまと言おうか、タマタマ最初に入った会社が中国との関係が多かったという事です。ただ、地球的にみると中国がをしゃべってる人間が一番多いらしいです。もひとつ、中国語は日本人は途中でギブアップします。ギブアップするという事は希少価値が生まれます。希少価値というのは価値が高いです。この価値の高い中国語をマスターするために、私のこの原始的な連述文理論を使ってください。私が思うに、単語=語彙力は確かに大事ですが、そんな枝葉のことは話してる間に誰でも覚えます。私がこのブログをとおして言いたいのは、中国語とは、主述文であるとか、主語とは?述語とは?とかの中国語の軸の部分、幹の部分なのです。
太好了 tài hǎo leī。你怎么了? nǐ zěn me le?等並べて日本語訳を単純に並べてるブログは、何の価値も感じません。そんなもなあ、誰でも書ける。   

 別の話になりますが、日本語の話 です。明日のジョーというマンガがあったのですが、小さいころよくテレビで見てました。あしたのジョーは、パンチを繰り出すとき「ウズメーシ、ウズメーシ、ウズメーシ!」と言うのです。ごはんと関係あるのかなあ?とみてました。ボクシングの世界ではパンチを出す時には、この合言葉を出すのだと理解した私は、シャドーボクシングのまねをしながら うれしそうに「ウズメーシ、ウズメーシ、ウズメーシ!」と言っていた。「打つべし!打つべし!打つべし!」と知ったのは、中学生の頃だったかなあ?字を読むのと字を書くのがきらいな 子供でした。

以上 今日ここ迄。

p.s.ハエ取り器、一匹も入ってません。 ”ハエをしっかりキャッチ” の意味が解りません。若干コバエが居るので、キンチョールを直接足に振りかけてます。イオンの商品だが、宣伝文句おかしくない?

写真?今日写真屋、休みです。

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