ブログと言うものをやってみようと思いついたのが、去年の10月でした。本当に何も解らなかった。始めるのはイイが何を書こう?そこから始まった。ヤフーで自分の記事が出たときは本当に驚きました。コレだ!と思いました。思いはしましたが、飽きることなくよく続いたと思う。人生でここまで続けられたものがあっただろうか?熱中したものというと、子供の頃ご飯を食べるのも忘れてプラモデルを作っていた事くらいか。。。仕事は別ですヨ!仕方ないからやってきただけで。まあ、他にやることも無いので続いてるというのが本当の所かとも思うが。。。物理学者の柴田昌俊さんの言葉に「やりたいことを見つけたら、もうそれで大丈夫。」というのがあります。ヒョッとして、私はもう大丈夫なのか???
今日は、ムダ話無しです。イキナリ本文に入ります。前回も書いてます通り、中国語は「何がどう文法」という 不変のルールに縛られてる。つまり全部主述文だという事。主述文の述部は、四つのパターンがあります。動詞述語文、形容詞述語文、名詞述語文、主述述語文。その中で、 主述述語文 を書きます。いちばんおもしろそうなので。
下準備として、他の人のブログを見てみた。
日本語の「彼は頭がいい。」と、文の作り方が同じなので簡単 とある。主語のあとに又主語があることに学習し始めの時、違和感を感じてた。とある。私が思うに、この違和感はつぎのような事に起因する。ほとんどの日本人の感覚は外国語=英語です。英語にはこの形は無い。主語が重なる場合必ず接続詞とか、that構文だとかでセンテンスが分れてる。1センテンスに主語は一つなのです。だから違和感を感じる。ブログはそのあと「~は~が~という状態だ。」と言う文は状態動詞であり、状態動詞の基本語順が説明してある。(この状態動詞とかいう用語は一切覚える必要も無いし、そんな文法用語の存在も知る必要有りません。)その後は、例文の列挙。実際の発音まで聞けてリスニングの練習ができるしくみになってる。まめ知識の欄等もあり、よくできている。良くできてるのだが、どんな本を見てもどんなブログをみても大体、似たようなことが書かれている。
中国語初学者は、これで納得するだろうか?私も、学習を始めていくつかの本も読んだし、ネットでも調べたりしてきて、納得もしてるし言ってる内容も解る。解るのだがなんかスッキリしない。何がスッキリしないのか?なんというか、枝葉だけみてるような気がするのですね。枝葉は枝葉で正しい事を言ってるのだから、それはそれでいいのですがなんかスッキリしない。
では、私が、中国語は全て主述文の立場から、ひとつ分析してみます。まず、認識しないといけないのは、中国語は全て主述文であるという事。ここから始まります。どこが主部でどこが述部だろう?という軸の部分を抜きに枝葉は語れないのです。それなしで、枝葉の話に入ると、初学者たちは迷子となる。
他朋友很多。tā péng yǒu hěn duō 。
【他:主語】主部 +【朋友:主語 很多:述語 形容詞。】述部
の構成になってます。
朋友 は主語は主語でも、このフレーズの主語じゃなくて、述部の中の主語です。述部の一部です。 朋友は何かと問われると、私の回答は、述語(部)です。主語とは答えません。述部の中身が 主語+述語 になってるから、主述述語文の名前がついてます。
と、私が説明すると以上になります。主語+主語+述語と説明されると、迷子になっちゃうわけです。
学習記を書きます。
最后什么时候用过? zuì hòu shén mo shí hòu yòng guò ?このあたりどうでしょうか?
分析します。これ単純なフレーズですが かなり難しいです。
【最后】主部 【什么时候用过?】 述部
主述文の構成分析はこれで良いと思います。構成的には非常に単純な主述文です。
述部 什么时候用过? をさらに分析します。
什么时候:疑問代詞で修飾です。
用过:述語 動詞+アスペクト助詞 ★私が迷ったのは、この「过」です。 用过 が動詞なら簡単なのですが、そうではありません。でも実際の会話では、あたかもひとつの動詞かのように使われてます。
日本語で、考えるのは良くないですが、方法が無いので訳すと、「最後は、何時使ったことがありますか?」という、非常に不自然で、そんな日本語使わないヨ!と言う感じになります。 「最後は、何時使いました?」が普通です。ストーリーは、財布をなくして、探し回ってるときの会話です。 それともこの「过」は、一般に言われる方向補語というヤツか?
このフレーズ ハッキリ言って 最后什么时候用? で通じます! 私には、この「过」の使い方よく解りません。ただ、言えるのは、実際の会話ではひとつの動詞かのように使われてます。アスペクト助詞なのか、方向補語なのか何でもイイので、私の連述文で分析してみます。
用:述語で主眼
过:述語で修飾 アスペクト助詞なのか方向補語なのか、私には解りません。「 用:述語で主眼」に対して何らかの後付けの補足をしているのは確かです。飾りの役目です。私の頭の中にあるイメージは 主眼の「用」に後付け修飾で スルーのイメージ。瞬間に終わるのではなく、ある程度の時間が必要で、その時間を経過したのですよという補足が付いてると思う。これは、本から学んだことでもなく、ネットで見た情報でもありません。私がワケも解らないまま、エライ長い間、中国語を聞き続けてきた経験から言ってることです。
今日これくらいにしときます。 なんか、池乃めだか みたい。(スイマセン!若い方はご存じないと思います。)
p.s 補語について、記事書いてます。もし、あれでしたら読んでみてください。
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