余計な事を書くと、私の学習記に悪影響を及ぼすので、あまり書きたくないのだが、書いてはいけないと思うほど書きたくなるもので、少しだけ。
コロナ感染者数東京都8/20 5405人。 6000人くらいが天井のようだ。感染拡大が天井の意味ではないですヨ。検査しないと要請も陰性も無いわけで、検査数の少ない月曜日は新規陽性者数が少ない。検査数がある日突然2倍になれば陽性者数も6000人以上になるであろうが、検査数はいきなりは増えないので。ただ、陽性の疑いが濃厚な方ばかりに検査を絞れば、率は上がるので増えると思うが。。実際の所は解らないですネ。会社の人の息子さんが、お客さんとの接客が多い仕事の為、従業員全員、PCR検査をしたそうです。約100人。10人くらい陽性だったそうです。10人に一人つまり東京都民1400万人として140万人陽性というのが、現実に近い数字なのかも知れない。
うちの職場に真実と正義の方がおられる。その名から推測できるとおり、極めて希少な方です。
だいたい、100年前の真実は現在では真実ではないし、現在の真実は100年後は真実ではない。正義と言うコトバも同じ類である。もちろん全てではないですが、そういった例もあるという事です。世の中の大部分の人は、自分は正しいと思って言ったが、あるいは間違いだったか?とか考える事がある。人には出来るのに自分には出来ない時、自分の勉強が足らなかったか。。失敗すると、あの時自分がこうしていれば。。。と落ち込んだりするものである。でもこの真実と正義の人は違う。自分の考えだけが真実であり、正義は常に自分にある。自分という名の鉄のカーテンの外を見ることは無い。真実は我にあり、自分以外は虚構である。自分だけできない場合、自分が勉強不足などとは一切考えない。自分は能力もあり誰より優れている。無能な周りの人間が自分になんの連絡もよこさない。よこさない周りが悪い。。。(結局出来ないんですけどね。能力的に。)失敗しても、失敗の原因が自分にあるとは考えない。なぜって?自分は真実と正義のひとだからですよ!失敗の原因は、周りにある。この類の人は、自分の考えは絶対に変えないので、少し違う意見を言うと、何かの発作が起きたのか?のようにキレる。この人の話は他のメンバーとも時々話題に上がるが、「あ~。あのキレるひと?」とか、私が、何気なく「この安物のマスク、すぐゴムがキレるんですよネ~。」W氏「何?すぐ切れる?ソレじゃあ○○さんじゃな~い。」反射的に返してくる。キレると言うコトバに異常に敏感である。彼は、よく私にパソコンの説明をしてくれる。 頼んだ訳でもないのに、一方的に話してくる。彼の世界では、私は、パソコンに触れない人間らしい。なぜ、そう決められたかは、解らないが、彼の世界では、それが真実として存在する。ちなみに彼は、メールを打つことが出来ない。
この真実と正義の人。もしこの世に真実があるとするなら、この方は墓場まで不変であろう。。
中国語は全て主述文 各論:主語 について、書きます。
中国語は全て主述文 まずこの部分ですが、これ非常にアタリマエの事で、地球上の言語全て共通してるのではなかろうか?推測です。少なくとも英語の基本5文型は SV ,SVO, SVC ,SVOO,SVOC で、主部+述部である。日本語?日本語は自然に出るものだから一切関係ないです。主語だの述語だの考えたこともないです。
じゃあ、そんなアタリマエの事を何故わざわざ書くのか?
別途何度も書いてますが、中国語には「てにをは」が無い。主眼の述語なのか?飾りの述語なのか?日本語のように「~して、」とくれば、主眼じゃない。修飾だな?「~ダ。」とくれば、確実に主眼です。「~は、」とくれば主語だな?となる。語順は結構、融通が利いて適当に後付け出来る。中国語はそうはいかない。非常に難しいです。中国語は簡単だ!と言われるひとの気が知れないです。英語もTHAT構文だとか不定詞だとか動名詞だとかあって、見えやすいのですが中国語は見えないのです。単語の意味と語順と、慣れだけを頼りに推測するコトバなんです。中国語が簡単だなんて私には思えません。だからこそ、知りたいと思うのかも知れません。 でっ、 何故わざわざ書くのか?の件です。前述したとおり、中国語は、主部と述部が非常に見えにくいのです。述語かな?と思いながら読んでいくと主語です。ここがミソの述語主眼だなと思えば修飾です。じゃ、どこが主眼なの?迷子です。まず、主語と述部を押さえてくださいね!それを押さえてから初めて、ここは簡単だの難しいだの解らないだのの枝葉になるわけです。見えにくいからこそ、主部と述部を見抜けてないまま枝葉の話をしても、意味がないというか。。そんな感じなんです。だから私は敢えて、 中国語は全て主述文 としてます。
各論:主語 の部分ですが、これも何度も書いてますが、見えにくいです。日本人は特に見えにくいです。日本人が見えにくいだけではなく、中国国内でも論争があるくらいNATIVEにも見えてないのです。みえないまま、会話は飛び交ってるわけです。問題ありますか?なんの問題も有りません。極端な話、文法なんてものは、現場では必要ないのです。意思が通じればOKそれで終了です。文法は後から発生したものです。文法は、実際の会話を分析して探し出した、追っかけ探したルールです。実際の会話が先で、現実にはコトバが飛び交ってるのです。これは主語だ。イヤそうではない、目的語だ!これは前置詞だ!イヤそうではない!結果補語だ!イヤそうではない!結果補語としての前置詞だ!そんなこたあどうでも良いわけです。
ただ、子供なら困らないけど、自然に言葉を覚える本能を失った大人は困ります。原始の時代は文法なんて無かったし、必要も無かった。じゃあ、ナゼ文法を言うものが必要になったのだろう?いろいろ書いていくうちにこの流れになったが、ソモソモ文法ってなんでうまれたの?外国の大人に自国のコトバを教えるために、法整備したのではなかろうか?調べると、奈良時代に言葉を整理法則化してみようと試みたもの好きがいた模様。この辺りが発祥のようで、外国人に教える目的ではなかったようです。言葉が発生したと同様に、自然に文法というのも発生したのでしょう。子孫に伝えるというのもあるが、これは文法必要無い。
中国語は全て主述文 各論:主語 の主語ですが、これはかなり、外国語=英語の教育を受けてきた我々は、かなり難しいです。なんでも主語になります。話題なら何でも主語になります。発注先の下請けのプリント工場の社長に私が発したフレーズなので、麻烦是麻烦!出货了以后很大问题发生,怎么办?就是最麻烦的事。是不是?と言いました。交渉事で、私が、実際使いましたフレーズです。流れがあるので、これだけじゃ解りませんが、私が実際仕事の緊張した場で、良くゾ言ったと自分をほめたいです。縫製工場の社長からは、その後、飲むたびに、私の前では中国語でも注意してしゃべれと社員に言ってると聞かされた。ある程度、通じたという事です。
就是最麻烦的问题。
就 :「ちょうど。」とか副詞的ないみなのですが、この 「ちょうど。」 というのは、主語としてしゃべってます。もう、既に副詞ではないです。私が一番言いたい話題、それが 就 です。変ですよね?副詞が主語なんて。どこの本にもブログにも書かれてないですが、この 就 は主語なんです。 就 と発生すると、周りは注目するんです。これ話題ですよ。話題以外の何物でも無い。私は、そう考えます。他にも楽に似た例文が山ほどあります。
学習記、今日余計な話入れたので休みます。考えると疲れるのです。
コメント