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連動文、兼語文、補語、前置詞句=連述文 /学習記:你的言语又进步了很多。・・など。 

みなさん!こんにちわ~!おかげさまで、私のブログもだんだん安定してきました。
安定して、底辺をうろうろしてます。一瞬だけ上昇の気配はみせてものの気配だけで終わりました。
このままではマズイ。何かを変えないと。。くだらない定食屋のはなしとか、コバエがどうだとか書いてる場合ではない。今日から本気で学習記を書くぞ!学習記らしい学習記を!
今までがウソ気だったのか?という事になるが、とりあえず、今日から本気で。
でも、日々思いついたことも書きたいのですよね。すこしだけ欄外として書きます。
 私の前の仕事場なのですが、お昼ごはんは、食堂で食べます。毎日なのですが、後ろからオバサンの話声が聞こえるのです。我々の席は誰も一言もしゃべらないので余計耳につく。二人の会話ではない。一人が一方的にしゃべり続けるのです。もうひとりは あ~。とか、う~。とか反応するだけで聞いてるのか聞いていないのか。。そのしゃべり方は、息くらい吸えばいいのにと思う位。聞き手に考える猶予を与えないしゃべり方である。後ろなので見えないが、この人はホントに昼ご飯食べてるのだろうか?何をそんなに急いでしゃべらないといけないのか?仕事中は普通の人です。会話もすごく普通のひとなのですが、お昼ごはんの時間になると豹変するのです。会話って、二人でしゃべって会話ですよね?一人が一方的にしゃべり続けるのは会話じゃない。電車に乗ってて、向かいのオバサンが乗ってきた瞬間から降りるまでしゃべり続けたのを見て、この話を思い出しました。これらのオバサンは、普通じゃないと思う。脳の構造が絶対違う。きっとこのオバサンはしゃべる病気なのだ。

 本題にいきます。私は、カテゴリーの題目の一つを「連動文、兼語文、補語、前置詞句 =連述文」としている。今日、これについて書きたい。連動文も兼語文も補語も前置詞句も全て連述文であって、それらのコトバさえ不要である。全て連述文という一言で説明できるという私だけの考え方です。
 そもそもこれらの文法用語など子供は知りません。知りませんがしゃべってます。子供たちの頭の中には、形の定かでない雲のように大まかで、それでいてシンプルにして不変のルールが形成されてるハズです。私が目指してるのはソコなんです。 連動文だの兼語文 だの文法用語を増やせば増やすだけ、作り出せば作り出すだけ矛盾が発生してくるのです。在这里放。の 在 は介詞。放在这里。の 在 は介詞?イヤ、介詞じゃないという人。介詞としての補語だという人。ただ、介詞と同じ要領で日本語訳をつけて、それだけで本人も読者も納得した感を醸し出している人。各々の立場で矛盾が発生する。そうなると仕方ない、例外とか、慣用句とかの言葉の出番です。文法用語なんて言うものは少なければ少ないほど良い。ベターなのです。
 今日一回で全て書くのはムリですが、私の考えの一部を書きます。ネットをみてました。「結果補語は連動文なのですか?」この質問いいセン行ってます。私なら「よくぞ、その点に気付きましたね。その通り、結果補語は連動文です。」と返すところなのですが、ベストアンサーに選ばれてる回答は、「結果補語と連動文はまったく別の概念であり、連動文ではありません。」とナゼこの方が、ひょっとして連動文ではないか?とおもったのか等は、微塵も考えることなく、質問を一刀両断に切り捨ててました。まったく別の概念の概念っていったいどんな概念なの?概念というコトバ自体、私にはよく理解できない。我已经吃饱了。の場合は 吃:動詞+饱:形容詞となるので連動文と呼ぶのは確かに厳しい。私は、連動文は、連述文であると言い張ってる。動詞+形容詞を連述文と呼ぶのは全く語弊が無い。
連動文の決まりとして
①連動する動詞は必ず目的語を伴う。直接動詞だけで結びつくことはない。
というのがある。確かにまずいですよね。結果補語になっちゃいます。でも連述文なら問題ありません。結果補語にはならなくて連述文になるから。(私は補語と言うコトバを認めてません。補語の働きを全然してないし、補語どころか文章の核心(主眼)の部分の働きをしているから。)つまり連述文では直接動詞だけで繋がって問題ない。
②ただし、「来」と「去」は動詞と直結できるのだそうです。→連述文なら動詞が直接結びつくのは問題ないので、こんな例外のことを考える必要ありません。
 今日書いたのは、補語は連述文であるという事です。補語に関してもう一つ思い出したのですが、別ブログにも書いてますが、動量補語だけは 補語と言うコトバを認めるとしてます。実際に補語と言う名前の通りに補語の働きをしてます。認めるは認めるが、無いと困るわけではなく、連述文として扱ってもなんの問題も無いわけで、動量補語と言うコトバを残さなければならない理由は無い。私はこの世から補語と言うコトバを失くしたいのです。中国語学習者を迷わせるだけ。有害无益。yǒu hài wú yì なのです。
 あ~疲れた。私考えるとすぐ疲れるんです。
連動文と兼語文に関しては、ブログの別ページ「牙痛/学習記:連動文と兼語文」を検索&参照ください。一応リンク貼っておきますが、上手く跳ぶかどうか自信ないです。上手く跳べば検索の必要はないのですが。。。 

 疲れたけど、学習記を書きます。簡単なフレーズばかりですが、私の連述文で分析してみます。
你的言语又进步了很多。听不出来是日本人。nǐ de yán yǔ yòu jìn bù liǎo hěn duō 。 tīng bù chū lái shì rì běn rén 。
你的言语:主語
又:飾り副詞
进步了:連述文 前の述部 主眼 動詞
很多。:連述文 後ろの述部 修飾 *一般には、動量補語と言われているが私はそう取らない。
日本語訳します。⇒ 你的言语 は 又 (飾り、副詞) 进步了 しました。 很多。 に。
听不出来:連述文 前の述部 主眼 ★正確にはココも更に連述文なのですが省略します。
是日本人。 :連述文 後ろの述部 飾り(目的語)
日本語訳します。⇒听不出来です。 是日本人。 を。

听说你们去西安旅游了,西安怎么样?tīng shuō nǐ mén qù xī ān l锟斤拷 yóu liǎo , xī ān zěn me yàng ?
听说:連述文 前の述部 主眼 ★厳密にはココ更に連述文ですが、省略します。
你们去西安旅游了 :連述文 後ろの述部 飾り(目的語) ★正確には更に連述文なのですが、省略します。
日本語訳します。⇒ 听说 です。 你们去西安旅游了 を。

我觉得特别激动。wǒ jué dé tè bié jī dòng 。
我:主語
觉得:連述文 前の述語 主眼 動詞
特别激动。:連述文 後ろの 述部 動詞で飾りです。(目的語)
日本語訳します。⇒ 我 は 觉得 (感じた)しました。 特别激动。 (特別に感動する)を。

今日、ここ迄。





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