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湿度83%/学習記:20块钱行李费白花了。

 シーズンだから仕方ないですが、私の部屋湿度83%です。ここまでくると空気中の水分が体にまとわりつくとでも言おうか、とにかく気持ち悪い。たしか香港の夜もこんな感じだったなあ。あそこの夏場は何時もこんな感じだったのを思い出す。フトンを干したいです。エアコンを除湿にしてやっと今75%です。わずか8%の違いですが、気分的に違う。もう少しは下がると思うのだが、がんばれエアコン!

 写真ですか?今日は止めときます。ユリの写真に反応があったので連続して載せてみましたが、どうも載せれば良いという事でもない様だ。

 ブログ名検索ですが、又私のブログ出てこなくなりました。一体何が起こっているのかさっぱり分かりすません。そもそもこんな事起こり得るのだろうか?実際には起こっているのですが。。グーグルコミュニティーに問い合わせはしましたが、果たして答えはあるのだろうか?なんかスッキリしない日が続いてます。

 スッキリしないが書きます。学習記を。
20块钱行李费白花了。このあたりどうでしょうか?”白花了。”ですが、私としては自然に身についてるので見過ごすフレーズです。「無駄になった。」とかそういう意味を習うでもなく勉強するでもなく体得してました。改めて辞書を引いてみた。当然、”白花”で形容詞とか動詞で「ムダに費やす。」あたりの意味が出てくると予想していました。意味は確実に合ってるハズで、どちらかというと、形容詞なのだろうか?動詞なのだろうか?その疑問で辞書を引きました。予想に反し辞書には 名詞:白い花 しか出てきません。どう探してもそれしかありません。そんなハズ無い!ネットのいろんな記事で”白花”を調べるわけですが、何も見つかりません。どうなってるんだろうこのフレーズ?ギブアップです。卑怯な方法ですが、ブログにあげるの中止しようと決意しました。でも竹をヨコに割ったような性格の私は納得できないので再度考えておりましたところ、ふと思いついたのは、花了钱 という言葉。よく耳にするじゃないですか。”花”は動詞じゃない?という思いつきです。”花”が動詞と考える日本人は、マズ居ないです。辞書を引きます。”花”:動詞 支払う  ”白”:副詞 無駄に と出てきました。納得。つまり現実はこういう事なのです。多分ネイティブの方でも今までの私の様に”白花”=「ムダに費やす。」の感覚の人は居ると思います。当然動詞だの形容詞だのそんな事は必要が無いし知らないと思います。because ネイティブだから。ネイティブが先生ですとかいう宣伝文句の外国語学習教室は行ってはダメです。我々中国語シロートが感じる疑問を過去に経験してる日本人の先生が一番いいのです。彼らの売り文句は、中国語は発音が難しい。すなわち、ネイティブに習うのが正解ということです。

お互い会話はしているし、通じてる。でも文法的に分析してみるとお互いの考えは違う。でも十分それで成り立ってるのです。そういうことだと思います。仮にネイティブの方に日本の学習者がいくらかの授業料を払って、中国語を教わるとします。先生は”白花”=「ムダに費やす。」と説明します。なぜならその先生はそうだと思ってるし、それで不自由なく会話は成立してるから。生徒は先生の言われることは絶対正しいと信じてる。生徒は努力家なので他の文献でも自分で調べる。自ずと矛盾が生まれます。先生に詰め寄ると最後に来るのが「言葉に理由は無い。みんながそう言ってるからそういうのだ。習うより慣れろ。」となるわけです。結果、日本の学習者の大勢が脱落していく。中国語は発音が難しいが、文法は簡単。というのは、結構キツイ嘘です。中国語文法は非常に難解で難しいです。文法から入る学習法は止した方が良いかも知れません。子供の様に学習して自分自身の文法を頭の中で構成する方法がベストです。ただこの方法一つ一つなので、時間がかかる。ヒマを持て余してる子供と違う大人はどうしても、文法から入ろうとしま す。私は、結構長い期間中国語と接触してきました。その間 学習する気は無いし、文法などという言葉は頭の片隅にも無い。ただ子供のように聞いてしゃべってました。その子供のやり方で、最終的に頭の中に残った中国語の構成は常に「何がどう。」です。中国語でしゃべる時は「何がどう。」と常に無意識で自然に何も考えなくてもそうなってるのです。なぜそうなったかは解りません。ただ、聞いて、しゃべれることをしゃべって。それを長年やってただけの結果イメージしてたのが「何がどう。」なんです。主述文という言葉を作られた文法学者とその部分では、お恐れながら私の考えは共通してる。
習うより慣れろ方式で本当に慣れるひとはたくさん居ると思います。ただ大人は、特に私のようなタイプはどうしても文法から入ろうとする。このタイプの人は聞く相手によって話が変わるともうダメです。ギブアップです。中国語を話す日本人が少ないのは、この辺りも一つの要因ではなかろうか?
 次の議題を書きます。
今天真是运气好。このあたりどうでしょうか?なにか疑問無いですか?私が疑問に感じたのは”是”です。我是日本人。の ”是”と違います。違いは、今天真是运气好。は連述文です。

私だけが言ってる連述文の主眼でない部分の述語=動詞で、役割は修飾です。つまりこの”是”は役割的には副詞と同じです。副詞としてどんな役割を果たしているのか?この”是”は以前書いたことがありますが、バカボンパパの「これでイイのだ。」の”のだ”です。「これでイイ」で終わっても文章は成り立つ。では”のだ”は何なのか?修飾語です。副詞です。これは、私だけが言ってることではありません。信憑性を高めるため敢えて書きますが、あるブログでは「”是”は副詞である」と書かれてます。辞書には載ってません。「”是”は副詞である」は、私だけが提唱する連述文でだけ、成立します。どうですか?私の連述文。
 次の議題に行きます。
还没有出机场大厅,可以退给您。空港ビルを出てないので、お返しします。(上海空港で赤帽を頼んだが、途中でキャンセルした場面です。空港から出てないのでお金は返金できますという場面です。)これ緊縮複文だと思います。~ので、~できます。という複文をひとつの文のように表現してます。”,”コンマが入ることによって既に複文ではないか!という意見があると思います。私もそう思ってました。”,”コンマは マ の取り方を意味するサインで、短文複文の区別のサインではありません。いちばん長い マ が ”。”です。いちばん短い マ が ”、”です。

すごく疲れた。仕事があるので寝ます。

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