今日も中国語学習と関係ない話をします。
「外見じゃない!中身ダ。」という人がいる。
まあそうかもしれないのだが。。。おもしろい記事を見た。
その方の意見は「外見は、一番外側の中身。」という意見。
前者は、外見と中身は、離れた別物と考えてるが、後者は外見も中身の範疇の一部だと言ってる。
エッ?私?う~ん。。。なかなか難しいんですが、「外見じゃない!中身ダ。」というのは、外見に気を配る余裕の無い人の言い訳の様に思える。
別に、高価なスーツと良く磨かれた革靴じゃなくてもイイと思うんです。ジーパンとトレーナーで良いんです。自分の中身を漂寄わせていれたら。
余裕なんじゃないかなあ。仕事に追われて出社拒否症になりそうとか、家庭の問題とか、借金に追われて住む場所、食べるものにも不自由しそうな状態では、外見に気を配る余裕なんて無いですから。
無理やり、自分に課して、外見を取り繕ったとしても、その人の内面が漂うことは無い。
最近、なんとなく思った事を書いてしまいました。
学習記?一応書いときます。
日本語では「英語が好きな人が居る。」「物理が好きな人も居る。」などと言います。
ただ、「英語が好きな人が」迄だけじゃ何を言いたいのか解りません。状況を述べてるに過ぎません。
最後の一言まで聞かないと、結局その人が何を言いたいのか解りません。
ヒドイ場合は「英語の好きな人がアレだから。」で終わりです。自分の考えをハッキリ言わない。何故なのかは解らない。気使いなのか。。美学なのか。。妙なものが日本語には存在する。ハッキリ言わない事が可能なのが日本語です。日常の会話でも、ふにゃふにゃ言って兎に角、話の長い人が居る。いつもそうなので、「結局どうなの?」と切り込んでも、このタイプの方は、最後まで自分の結論は言わないです。長々と枝と葉っぱの話ばっかりして、肝心の幹には触れない。中国語では、そんな話し方は出来ないです。不可能です。
中国語は、枝葉なんか言いません。「人が居る」と結論をアタマに言うのです。
コレを話題=主語として一番言いたい事を持ってくるのです。その後に「英語の好きな」とか「物理の好きな」と枝葉を付け足すんです。
「世界上 shì jiè shàng」という切り出しは、中国語で結構多くあるパターンです。「枝葉が頭に来てるじゃないか!」の批判もありそうですが、これ、カザリ言葉で副詞と分類しても良いと思うが、話題=主語なんじゃないかなあ。。。その後には殆ど結論の「有」とか「没有」が先に来て、その後枝葉が付け足しでくる。
ほとんど中国語書いてないけど、今日終わります。
追記として中国 恒大の問題です。中国は、一発で解決します。共産党一党なので、問題無いです。
ゼロコロナ政策を実施した国です。どんな無理だろうが国民に強制出来ます。金利政策で一発解決です。日本とか米国の常識とは違うんです。ウダウダやらないんです。結論を先に言うんです。
追記の追記ですが、心配なのは台湾です。次のウクライナになるのではないか。。。
日本も第三者じゃなくなる。私はもうどうでも良いんですが、若い人が心配です。
以上
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