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題して THE 方向補語

 まず、ネットで調べてみました。「動詞の後ろに置いて、前の動詞の動作の方向を表す補語を方向補語と言います。」どうもこの辺りが一番一般的な説明になっているようだ。これでスッキリ理解できる方は問題ないのですが、私の場合、 動作の方向を表す補語???となってしまう。
 まず、 動作の方向を表す という点ですが、例文で考えてみます。
他 走来。 Tā zǒulai. 彼は歩いて来る。
「来る」って方向を表してます?「来る方向」と言えば、方向だと思いますが、「来る」だけで方向を表しているといえますか?少し苦しくないですか?方向とは前後左右とかそういうものではないのか?どう思います?私ハッキリ言って「 来」は方向なんか表してないと思います。方向じゃ無いです!どうして中国語の文法書は納得できない事ばかり書かれ、しかも公に通用しているのだろう?まっ、それは置いといて、方向補語定義を私が下記します。

 方向補語の定義:方向補語は結果補語の一種で、最終的に結果として「来」したのか?「去」したのか?をあらわしたものが方向補語です。一般に単純方向補語と言われている「上・下・进・出・回・过・起・开」は結果補語で、方向補語では有りません。これは、私だけが言ってる事じゃなくて実際にそういう説があるそうです。 複合方向補語は全て「来」か「去」が付いてるので方向補語です。 これだけです。方向補語は結果補語の一種だと書きましたが、一部例外が有ります。単純方向補語の 「来」と「去」は、結果補語と言えないケースが有ります。この件については、最後に書きます。
 そもそも私の見解としては、方向補語と言うコトバは必要なのか?結局全部結果補語なのだから。更に結果補語と言うコトバは必要なのか?単なる連述語なのだから。連述語 の中の、後ろ述語がたまたま結果を表しているものを結果補語と呼んでるだけ。結果補語も方向補語も単なる連述語だというのが私の見解です。もうひとつ 補語 というコトバですが、また「なんとかを補足説明するなんとかかんとか。」というお決まりのセリフがありますが、結局、連述語の後ろの述語が結果なのだから、結果は主眼です。つまり、結果補語にも方向補語にも補語のハタラキをしているものは有りません。全体的に言うと、連述語(述語が重なった語)中の、後ろ主眼の範疇の一部が、結果補語とか方向補語とか一般に呼ばれている程度の認識で良いと思う。
 方向補語の実例を解読してみましょう。
その前に、方向補語の目的語の位置ですが、少し厄介なので後で書こうかとも思いましたが先に書いておきます。上手くまとめられた記事がありましたので引用します。単純方向補語か複合方向補語かにかかわらず,目的語は“来”“去”の前に置かれるのが最も普通の語順で,唯一「既に起こった已然の出来事で,目的語が人や物の場合」には,目的語を“来”“去”の後ろに置く語順も可能になる。うん、美しくまとまってる。では、実例に行きます。方向補語としての分析をあまりやりたくない方法ですが、強引に日本語で付け足しました。中国語の動詞は結果を含んでないという部分、次の様に表現してみました。
1.老板回来了。 lǎo bǎn huí lai le  社長が帰って来ました。
   帰る動作をして、結果来た。
2.这封信是谁寄来的? zhè fēng xìn shì shéi jì lai de この手紙は誰が送って来たの?
   送る動作をして、結果来た。
3.妈妈送来(了)很多苹果。 mā ma sòng lai le hěn duō píng guǒ お母さんがリンゴをたくさん送って来てくれた。
   送る動作をして、結果来た。
4.小李刚才打来(了)一个电话。 xiǎo lǐ gāng cái dǎ lai le yī gè diàn huà 李さんからさっき電話がかかって来た。
   かける動作をして、結果来た。
5.外面很热,进屋里来吧。 wài miàn hěn rè jìn wū lǐ lái ba 外むっちゃ暑いから、部屋は入れよ。                             入る動作をして、結果来る。 未来完了。
6.外边儿下起雨来了。 Wàibianr xiàqi yǔ lái le . 外は雨が降りだしました。
   降る動作をして、結果始まった。誰がそんな動作をしたんだ?これは苦しいです。天の神様です。とでも言っておきます。
7.我想出来一个好办法。 Wǒ xiǎngchulai yí ge hǎo bànfǎ . いい方法を考えつきました。
   考える動作をして、結果、出てきました。
8.这本小说没意思,我不想看下去了。 Zhèi běn xiǎoshuō méi yìsi , wǒ bù xiǎng kànxiàqu le . この小説はおもしろくないので、読み続けたくなくなりました。
   読む動作をして、その結果続けました。の否定形。
9.房子租下来了。 Fángzi zūxialai le . 家は借りた。
   借りる動作をして、結果、完成した。
10.他从楼下走上来了。 Tā cóng lóuxià zǒushànglai le . 彼は下の階から歩いて上がってきた。
   歩く動作をして、結果上がってきた。

 前述の一部例外について書きます。  
我明天送钱去。 Wǒ míngtiān sòng qián qù. わたしは明日お金を届けに行く。
方向補語の例外として載ってました。方向補語でないという事は、結果補語では無いという事です。じゃあ、何なんだ?と言う話です。コレ普通の連述文(連動文)ですよネ!方向補語と考える必要は無いです。個人的感想です。結局、全部連述文と考えればそれで済むわけです。補語だの補語じゃないだの言う必要有りません。単なる連述文です。補語のハタラキをしてない補語というコトバを誰かが発明して混乱してるだけです。補語というコトバは本当に不要だと思います。タダ、結果補語の結果と言うのは意味がある。中国語の動詞は結果を含んでないという証です。でないと、必要無いですから。

 いろいろ書きましたが、じゃあ私が学習してなかったときは、回来とか回去とか喋ってなかったのか?というと喋ってました。回家了。と言ってました。正しくは、回家去。なんでしょうがお構いなし。逆に 回家去。はほとんど耳に残って無いです。そのまんま方式です。結果補語とか方向補語なんてコトバは一切知りません。そのまんま、そのまんま方式で良かったのかも知れませんが、今日書いた大きな軸というか構成というか、イメージというか。。を作っておくのは、子供のように喋れる様になれない大人にとっては大事な事だと思うのです。この大きな軸を頭にぼんやりとイメージして覚えるのとそうでないのは、かなり違うと思います。

 結局方向補語は、結果補語なのだという事ですので、ここで結果補語全体について、私が感じてる部分を書きます。中国語の動詞は結果を含んでないので、日本語の「買った。」を表現するためには、「买」だけじゃダメで、「买到」と結果としての「 到」を付け足さないと 日本語の「買った。」 は表現出来てない。この付け足すという意味合いからすると補語という名前が付くのも解らないではないが、実際のハタラキで考えると、補語の役割はしてない。 結果補語が必要な理由はリクツとしては解りましたが、一方結果だけじゃダメなの?という疑問。吃饱の例で、「お腹いっぱいなんだから、食べたに決まってるジャン!いちいち言うなよ!」の疑問です。実際の会話では、饱了。到了。起来了。など前の動作を示す述語が省略されて飛び交ってる。つまり、前の動作を示す述語は会話してるお互いが解るなら、前の動作の述語は省略して構わないんだという事。
 もうひとつ。中国語の動詞は結果を含んでないという点です。中国語特有なので日本人には理解しがたい。なんでだろう?考えたのですが、動詞の時制の変化が無い事が原因してるのではなかろうか???動作と結果と列挙する事によって、日本語とか英語の動詞の時制変化の役割を代用してるのではなかろうか???結構、原始的な方法に思える。
 ついでに、これは私の誤解かもしれないが、結果補語は動作と結果の関係に当然の流れというか因果関係があるのに対し、方向補語はその関係が薄い例があると感じた。
你拿去吧。 Nǐ ná qù ba.  持って行ってください。 もう動作をして、結果行く。
の例です。どちらかというと、私の印象は前後の述語に因果関係のない単なる連述文に思える。
まあ、最終的に結果として 「来」したのか?「去」したのか? が方向補語だ。(=結果補語)と意識してれば問題はないワケだが。。。

 今日、終わります。我ながら 今日は、言いたい事を美しく書けたと思う。






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