余計な話は書くまい。学習記に徹するのだ!余計な話ばっかり書いてると読者はいなくなるヨ!そう心に言い聞かせているのだが、そう思えば思うほど余計な事を思いつく。思いついた以上、書きたくなる。人間のサガとは。。。
最近、「Adoの素顔が流出。」という記事を見た。エッ?そんなの見たけど??出身高校など推定している。 エッ? そんなの知ってるけど??迷路です。調べてみると、私が見たのは藤川千愛さんの うっせいわ で、 Ado さんでは無かったのです。どうも出生地は都内のようです。人間、一旦信じちゃうとダメですね。でも、 藤川千愛さんもスゴイですよ!上手いです。私を信じ込ませたのですから。いろいろ見てるうちに、”くっせえは”とかいうくだらない歌まで聞いてしまったではないですか。
先日、真実と正義の人と題して書いたが、私もその真実と正義の人の中のひとりだったのです。愚かです。でも、自分を疑ってちゃ何も考えられないし、何も言えない。何も書けない。
でも、学習をすすめていくうちに、以前書いたことは、間違ってないか?というのも有ります。
今日思ったことを書きます。補語は補語なんかじゃなくて主眼だという私の主張の件です。
吃饱了。
他跑的很快。
このあたり、私の主張で間違ってないです。
ふと、今日思ったのは、我常常看到买房子的广告。このフレーズ、どう考えても、 到 より 看 のほうが、言いたい事だよなあ?主眼だよなあ?という部分です。補語=主眼だという私の主張と矛盾する。 補語=(補語じゃなくて)主眼 と決めつけたが、実際のところ、動量補語は補語の働きをしている。 補語=主眼 と決めつけるわけじゃ無く、前が主眼であったり後ろが主眼であったり、してるのが現実のようです。連述文の考えは間違ってないと思います。連述文の定義は「前か後のどちらかが主眼。」です。ただ、間違ってたのは補語は全て主眼だという考えです。実際には、本来の補語としての役目をしてるものと補語じゃなくて主眼の役目をしてるものが混在してるのだと思う。
もひとつ思ったのは、前回ブログで、就是の 就 は主語。だと書きました。ずいぶん極端な事を書いてしまったと若干後悔しておりました。こんな事書いてる本は無いですから。副詞が主語?単なる副詞でしょう?这个就是最麻烦的事。の 主語: 这个 が省略されてるだけなんじゃないの? 副詞でなんの矛盾もないじゃないですか?読者の声が聞こえる。でも、緊張状態のなかで、思わず発してしまった言葉の 思わず文頭に持ってきた 就 は、みんなに聞かせたいコトバであり、話題だったハズなんです。すくなくとも、私はそのイメージでそのまま口からでてきました。まあ結局、文法的にどう考えようが、自由なワケで、しゃべれれば良いし聞き取れれば良いだけなのですが。。。コトバが先で、文法は後付けなのですから。。。只是・・。真是・・。の辺りの副詞、全部主語だと思います。あんまり日本語に直したくないが、「タダ~なのは、・・・。」「本当に~なのは・・・。」くらいかなあ。。。
学習記、休んでばかりなので、少し書きます。
日本也有买做家具材料的商店。rì běn yě yǒu mǎi zuò jiā jù cái liào de shāng diàn 。
どうでしょうか?話の流れというのもあるので、切り取られても。。と言う部分もありますが、なんの抵抗も無くはいるでしょうか?
分析します。まず、中国語は全て主述文の見地から、主部、述部を分けます。
【日本】主部 【也有买做家具材料的商店。】述部
この主述の構成を押さえて、初めて枝葉の話が始まります。
なぜ、このフレーズをあげたかというと、この述部 見えにくいからです。
也有:述部です。
买做家具材料的商店:目的語です。
买做家具材料的商店 この目的語部分 もう少し分析します。
买做家具材料的:修飾語です。
商店:目的語です。
つまりこの修飾語を無視すると 也有商店。という非常にシンプルな文なんです。
买做家具材料的 この修飾部分を更に分析します。
买:述語です。
做家具材料 :目的語です。この目的語の内容は 做家具(的)材料 です。
このフレーズしばらく考えないと分析できませんでした。
日本語訳します。→ 日本では、 也 有です。
买してる、做家具の材料を 的商店が。
*どうでも良い事ですが、この文 一般には存現文と言われてます。私の場合そんな事は考えないですが。。
なんか方法無いのかなあ?もっと解りやすく分析内容を表現する方法。
今日終わります。
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