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日本語を強行にしゃべらない呂老师/学習記:受不了。

 先日、かるくショックを受けました。朝の通勤電車です。席を譲られたのです。大丈夫ですと断りましたが。。譲ろうとしてくれた人は女性で、失礼ではありますが私から見ても若いとは言い難い。私は昔の骨折が影響して現在でも痛いので足を引きずってしまいます。自分では普通を装っているのですが、やっぱりわかるんですネ。後ろからワザワザ肩をたたいてきて、席を進められました。
ショックではあるが、人情のある人もいるのですね。東京もすてたもんじゃない。

 ANALYTICSのリアルタイムをなんとなく眺めていたのですが、ゼロだったユーザーが1になってました。つまり今この瞬間誰かが私のブログを読んでくれている。感動です。なんて時代なのだ!恐れ入るばかり。数分経過した。画面の1は0に変わった。読み終えたようです。しばらく画面を見てましたが、0から変わることはありません。画面をそのままにしてほかのことをしながら時々見るが、画面はビクともしない。見つめる鍋は煮えないというが、この事か。。ブログ環境の方は、何がなんだか解りません。何が解らないかって? 私のブログのタイトルで検索しても私のブログは出てこないのです。何回かは出てきたのですが、すぐ消えてなくなるのです。いろいろ試してみました。まず、ブログの題名の下にjust another wordpress.というのが出ていたのですが、ヨロシクないそうなどで変えることにしました。気の利いたフレーズが出てこない。とりあえずドメインに変えておきました。なんの画面だったか覚えてないですが<head>と</head>の間にタイトルが重なってるのもヨロシクないそうで、余計なことを張り付けてしまった記憶のある私は思い切って消してみました。いまのところ以前と変わらず動いてます。助かった。開けなくなったりしたら又やり直すしかないですから。危険な賭けです。もう触りたくないです。それにしてもタイトル検索でナゼ出てこないのだろう?wordpress.com時代に作成した中国語学習記はtopで出てきます。2番目に出てくるのが、ブログ村です。こちらはなんとか現状のwordpress.orgの記事が出てきます。でも時々出てきていた.orgの方は出てこなくなってしまいました。多分、wordpress.comはなんにもしないでも上手く検索に引っ掛かるようにしてくれていたのです。.comに戻りたくなりました。あとサイトマップというのも何もしてなかったので、作成して送っておきました。これも不安です。サイトを読みながらやったのですがが、サイトが古いのか、実際に出る画面と違うのですね。適当に推測してやりましたが正しく繋がってるか非常に疑問です。作業しながらふと思ったのですが、少ないながらも私のブログは確かに誰かに読まれてる。一体どうやって私のブログにたどり着いたのだろう?ブログ村?それだけじゃないような気がしてならない。無数のブログの中から偶然なんかあり得ないし、ほんとうにどうやって???
 今回の投稿 書き始めて途中で、下書き保存しました。書ける時間がなくて4日程経過してしまいました。4日間、analyticsの方はビクともしません。いろいろ触ってる間に何かミスったか?なんかブログ環境整備が本職か、記事を書くことが本職かわからなくなってきてる。考えても仕方ない。発信は出来るのですから。ブログ村からなら見てもらう事は可能だ。兎に角書く。

 本日若干、力が入らない状況ですが 日本語を強行にしゃべらない呂先生について書きます。台北支店に居るローカルスタッフの日本担当は、普通必ず日本語ベラベラです。どこでどうなったのか知りませんが、この呂先生全く日本語をしゃべらない。しゃべらないクセにやたら電話をかけてくる。仕事だから仕方ない。わたしのムチャクチャナ中国語で対応するしか方法が無いのです。電話の半分以上は私の中国語教室のようなものです。当時、国際電話は非常に高いので、上から良くヒニク言われたなあ。10日単位の出張位なら先生と二人で中国とかベトナムとか何度か行きました。普通ローカルスタッフは、通訳も兼ねて出張に同行するわけですが、ナゼ呂先生は日本語をしゃべらないわけ?彼は2年くらいで会社を去ってしまいました。その後私もその会社を去るわけですが、福建省福州で二人で肩を組んで写った写真は今も持ってます。呂先生は私にとっては、呂老师です。

 学習記を書きます。受不了。工場の夕食後、ソファーに腰かけてテレビを見ながらリラックスする時間がある。私はよく解らないまま台湾人どうしの話を聞いてたのだが、受不了。の言葉がやたら飛び交ってる。いったいどういう意味?と聞いたことがある。女性担当者は、両手をグーにして体を小さく縮め「う~!」、小さく縮めた両手を開放し「ガマンできない!」と言った。私に覚えさせようとしてる気持ちは解るんですが、ちょっとオーバーアクションじゃない?おかげで、受不了。=ガマンできない。は覚えたし使える。ただ、学習し始めて解らなくなった。これ可能補語なのだそうだ。
「述語となる動詞や形容詞の後において、述語の動作行為の結果や状況を補足説明する成分を補語と言う。」この本では、結果補語、方向補語、可能補語、程度補語...と補語という単語が出るたびにハンコでついたように最初の行にこのフレーズが出てくる。読者にすり込みたいフレーズのようだ。  私にはどうも納得できない。解説をそのまま信じてこのフレーズ直訳すると。「受け取る/補足的に:完了しない。」う~ん。。この構成で慣れれば慣れるのかもしれないが、私の場合、なじめなかった。
 私の連述文で考えてみます。
’不了’がこのフレーズの主眼です。なのでもうひとつの述語 ’受’ は修飾部分です。つまり強引に直訳すると「補足的に:受け取ることが/完了しない。」→ガマンできない。私は、このイメージでスッキリなのですが、どうでしょうか?連述文なんて考えなくたって、本に書いてあるとおりの説明で充分納得できますヨ。と言う方は、それでいいと思います。どうイメージしようが要はしゃべれて聞き取れれば良いわけですから。何度も連述文の場合で考えて書いてますが、これから先も何度も書きます。いちばん言いたい部分なので。




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