関係ない話、少しだけ書きます。
仕事上でミスをしてしまいました。現在かなりマイナスモードです。後から考えると、なんてアホな事をしたのだろう。。。いろんな偶然が重なると、こんなアホな対処をしてしまう事があり得るのか。。。まあ、確かにブログのネタとか、他の件とか考えていて、仕事に集中してなかったのは事実だが。。。
結局、この件が原因で命まで取られることは無いし、時間が解決するだろう。。ということでスルーすることにして、今、記事を書いております。この安易な思考回路は、将来ある若者にとって、かなり重要だと私は思う。
学習記に入ります。
ブログの題材になりそうな、ある記事をみました。連動文です。
我去学校学习汉语。
wǒ qù xué xiào xué xí hàn yǔ 。
私は学校に中国語を勉強しに行く。
文章を組み立てる際には、注意が必要である。そのコツは「うしろから!」だそうです。
じっくり考えながら作文をしてるとか、本を読んでるとかなら可能なのかも知れませんが、そのコツは「うしろから!」とか、日常会話で出来るのでしょうか?みなさん、どう思います?
私、出来ないと思います。この記事には「文章を組み立てる際には、」という条件が書かれてるので、ウソではない!ウソではないが、更に書いてほしいのは「実際の会話では、役立たない。」という事。
私が何を言いたいかというと、実践で役に立たないコツを説明されても、初学者は迷うだけなんです。こんな説明はするべきじゃ無いです。日本語に訳すから、そのコツは「うしろから!」とかになるんです。日本語に訳しちゃダメなんです。そのまんま受け止めないとダメなんです。単語は日本語に訳さないと、それが何なのか?イメージさえ湧きません。単語を日本語訳するのは仕方が無いとして。。。でも、語順というか、話す順番は、日本語訳してはダメです。そのまんまを受け止めないと。
う~ん。なんと表現すれば良いのか。。。私、中国語と接していた時間だけは長いので、この短い文は、条件反射的に自然に理解できます。【そのコツは「うしろから!」】とかいう説明は、初学者が迷う原因になると思います。
自然に条件反射的に理解している私は、どう考えているのだろう?
そんまんま考えてる模様です。
1)我去学校→そのまんまイメージしてます。主眼なのかカザリなのかは、この段階で、多分判断してない様に思います。
2)学习汉语。→そのまんまイメージしてます。ただし、このフレーズが出てきた瞬間、1)の「我去学校」が主眼だと判断してるような気がします。どうも私は、「学习汉语」をカザリ(付け足し)と判断してるようだ。
【そのコツは「うしろから!」】とかいう断定
はあり得ないです。「うしろから!」とか「まえから!」とかは、連動文のふたつめの述語が出てきた瞬間決まるんだと思います。カメラの焦点を合わせる作業を連想します。一つ目の述語でボンヤリとしたイメージは有るのですが、焦点が定まって無い。二つ目の述語が出てきて、その瞬間、焦点が定まる。(今はオートフォーカスだからこんな作業必要無いですが、昔は焦点を合わせる作業が必要だったんです。)
もう一つ「私は学校に中国語を勉強しに行く。」という日本語訳は、中国語を理解するうえで非常に解り難いです。「私は、中国語を勉強しに学校へ行く。」と訳すべきだと思います。
もう一つ、このフレーズの日本語訳は「私は学校に行って、中国語を勉強する。」もあり得ます。大した違いは無いので、どっちでも良いのですが、圧倒的違いは、前が主眼か?後ろが主眼か?です。これは、会話の中の流れで決まります。
私、「二つ目の述語が出てきて、その瞬間、焦点が定まる。」と書きましたが、単純に部分的に切り取っただけでは、焦点は定まらない。会話全体の流れがあって、その上で「二つ目の述語が出てきて、その瞬間、焦点が定まる。」のだと思う。
記事を書いた方は、作文の側面から記事を書かれたのだと思います。私は、ヒアリングreadingの立場を含む、中国語に対して記事を書いております。筆者の立ち位置の違いだけと思います。以前書いたことが有りますが、話し手と聞き手では文法が違うと書きました。なんか、そんな事を思い出した。
今日、終わります。
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