今日は、也可以理解。と也是可以理解。の違いについて書いてみようと思います。
1)也可以理解。yě kě yǐ lǐ jiě 。同様に理解できる。
これで充分意思は伝えられる。
2)じゃあ、なんで、也是可以理解。yě shì kě yǐ lǐ jiě 。の言い方が有るのか?
正しい説明かどうか解らないが、私の個人的、経験的感覚だけでいうと、「同様に理解できる。」
とだけ言ってるんじゃなくて「同様に理解できるのダ!」「同様に理解出来るんです!」
と言ってる気がする。
この流れでいうと、也是可以理解的。という言い方もあるなあ。。。
「是」は、使用頻度が一番多い中国語動詞ですが、一般の動詞とは一線を画す動詞だと思う。
特殊です。そもそも、動詞という名前が付いてるが、動作を表してない。果たしてこれを動詞と呼んで
良いものなのか?の疑問も湧いてくる。動詞と決めた人に聞かないと解らないが。。。
ただ、英語でもbe動詞というのが有って、動詞に分類されてる。日本語の「~です。」も
多分、動詞なんだと思います。(調べる気もしないが。。。)
「是」の根本的な意味は「=」だと思うんです。 (厳密には「≦」か?、まあ。。。)
・我是日本人。→我=日本人。
・屋子里到处是灰。wū zǐ lǐ daò chù shì huī 部屋の中は至るところほこりだらけである.
→屋子里到处=灰。
・他[是]一定愿意去的。tā [shì ]yī dìng yuàn yì qù de 。彼はきっと行くことを望んでいるのだ.
→他=一定愿意去的。
こんな感じだと思うんです。
今日の議題の「也是可以理解。」に戻ります。
主語が省略されてるのでややこしいですが、=で表現すると、
「”省略された主語” 也=可以理解。」※也は副詞で=にかかります。=の修飾語です。
「也可以理解。」で意味は伝わるんです。何故「是=」を入れるのか?
強調の「是」とか、学習書では説明されてます。アバウトな説明で説明に成って無いので、この説明が私はキライなんです。でも今日考えてみて、この不要な「是」は、強調の意味しかないんですネ。
とりあえず、今日終わります。書きたい事は無限にあるんですが。。。ちょっと生活の方に問題がありまして。。。
以上
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