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九份/学習記:了について

 菅首相の方針のもと 最近、携帯電話の通信費が安くなってきているのはすばらしい方策だと思います。経済を活性化させる最も効果的な方法で、庶民的感覚がないと総理大臣からこの発想は生まれないと感じてます。なんですが、各携帯会社からは、新しい安いらしいブランドばかりテレビで宣伝してます。そうじゃなくて、何もしなくても、来月の電話代が今月の携帯代の半分以下になってくれればいいだけなんだけど??まあ仮にそんなことしたら今までどれだけ暴利を得ていたのだと問題になると思うが。。。

 ついでにコロナの件。非常事態宣言の解除の日をビシッと決めろ?確かに飲食業の人はそう言いたいと思いますが、実際できないでしょう?コロナが収まる日は神様しか知らないのですから。今決めても批判が起こるし、決めなくても批判は起こる。確実に言えるのは、どのように対処しようが確実に批判は起こるということです。後付けで批判してるわけだから何とでも言える。敵う訳ない。

 今日は何かこうかなあ?ブログの環境?wordpress.comから.orgへ引っ越ししようとしてから壁の連続です。壁を超えると次の壁が発生する。いや超える前に次々と壁が出てくる。いろんなところのHELPに相談するわけですが、ひとつ質問すると回答がくるには、やはりまる1日位はかかる。時間がかかる上、その回答の意味が全く理解できない。私が無知なのは事実だが、何回かやり取りしていると当初の疑問からは離れてしまって、最終的な問題解決方法の回答は「当初投げかけた私の問題を解決する事が、解決方法です。」という不思議な最終回答になる。なんだか魔術にかけられたような感覚。結局、極力多くの情報を知り自分で情報を選択しあるいは自分で考えた方法などもトライ&エラーで試してみる。この方法しかないのだと思います。中国語学習につうじる部分もあると思います。いろんな所に相談して難しい単語ばっかり教えて頂きましたが、最終的には自分で選んだネットの一番シンプルな方法で形だけは引っ越せました。.comだったら自動的に解消してくれていた問題を.orgでは自分で解いていかないといけない。仕方ないですね!だから.comはある程度の費用を払わないといけないのだから。ただ余裕のない私の場合は.orgで頑張らないと仕方ない!

 今日は、台湾の話をします。ある大きな企画を終え、企画メンバー:仕入れ業者とか企画会社とか含めて台湾へ旅行に行きました。仕事なしです。2泊3日だったと思います。台湾のmakerからはバレンタインの何年モノとかが、木箱で運び込まれてくる。初日、仕入れ業者の方が、飲めないお酒を頑張ってしまって、私と私の台湾の古い知り合いの二人はその方の介抱で初日の宴会の時間のほとんどを、hotelへ送ったりするのに奪われ大変でした。次の日は、自己申告でなんでもできる。ゴルフグループ、街中グループ、観光グループ。
ゴルフはブルジョアの遊びだと普段主張してる私がゴルフに行くわけにはいかない。街中は若い人のグループが行くところで私は浮く。台湾のみなさんが私に何がしたい?と聞くので、「完成したばかりの台北101に行きたい。」ということで、観光グループになりました。グループと言っても日本人は私ひとりで他は台湾のmakerの女性課長とその部下の女の子。宴会の翌朝決めた時間にhotelのフロントに行くと「よく起きれましたね?」の第一声。思うのですが、台湾の人は思ったことをワリとストレートに言います。相手を気使って婉曲にとかあまりないです。「よく起きてこれましたエ?昨晩あれほど酔ってたのに。」という意味です。私もどうやって帰ったか記憶も無いので、あいまいな答えしかできない。とりあえずそのまま車に乗せられ九份という街に連れていかれました。基隆の近くで立地的に山なので石段ばかりです。店のオバサンがガラガラ声で呼び込みをしてます。私が「あのオバサン、ガラがわるいなあ。」と言うと女性課長は「ガラが悪いんじゃない。声が悪い。」と反論してくる。しかし本当にガラが悪い。台湾語なので余計ガラが悪い。ひとつの店に入り名物のなにか日本でいうあんみつのようなものを食べさせられる。私は昨晩の酒が残っており何も口にしたくない。女性課長は「無理しなくても、残したらいいですよ。」この辺は、日本人相手に商売をしてきた経験がものをいう。残して次の店。中に入り反対側の席に着くと狭い石段の道と相反し絶景が広がる。酔いを醒ましてしっかりするためとりあえずビール。部下の女の子もトイレにいってなかなか帰ってこない。私同様みんなも体調は良くなかったのだろう。次はおみやげ屋さん。私は普段はお土産など買わないが、ある程度形を作らないといけないので、竹の貯金箱と忘れましたが何か買いました。お金を払おうとすると、部下の女の子が払ってくれました。これは宜しくないので女課長に言うと、「問題ない。給料払ってますから。」の返答。私は、その部下の女の子が友達と日本にプライバートで遊びに来たときは晩御飯をごちそうした事もあるので、ありがたくお土産代を払ってもらいました。あとから知ったのですがここは、台湾では有名な映画「非情城市」の舞台だとのこと。帰りにビデオを買って帰国後見ましたが、
とにかく暗い映画で、半分近くは台湾語です。中国と台湾の問題のようです。この問題は現在も継続中。帰国後知ったのですが、この街、千と千尋の舞台になった街だそうです。後から思うと確かに瓦屋根が何重にも重なり、提灯がたくさん下げられた街並みは確かに千と千尋だなあ。と後から思います。でもこの街に行ったとき私は千と千尋をまだ見てませんでしたが。。。そのあと台北市内に帰り台北101に上がりました。たいしたもんです。上層部にいくと大きなおもりの様なものが吊り下げられており、それが台北101のバランスを保っているのだそうです。スカイツリーにも同じようなものがあるのだろうか?

学習記 書いておきます。 今日は「了」について書きます。
・我知道了。 完了形です。 これは学習者にとってごく自然に入ってくると思います。「了」については理解したつもりでいると、どうみても完了の意味じゃないセンテンスにすぐに遭遇します。私はどうしてたかと言うと、聞いたことのあるフレーズに「了」を使ってました。要は適当に使っていたというのが本当のところです。
もう良い、もう良い、分かった分った。という状況で皆さん
・好了。好了。我知道了。
という。だから私もそのように言うといった感じで使っている。
実際どのような意味を含んでいるのかは知りません。知りませんが使っている。いろいろ調べるとこの「了」の使い方は永遠のテーマだとの解説もある。今日は完了の意味以外の私が気にしているもうひとつの用法をひとつだけ書きます。変化の「了」です。
形容詞+了:変化の「了」らしいです。
・父亲 老了。
・我有一点儿累了。
・谁不舒服了?
全部変化です。

 「了」には完了以外に変化の意味がある。これだけでも、中国語の世界は広がります。他にも「了」無しではどうも弱くて強く言いたいときとか結構「了」を使ってるとかもありますが、今日の所はここまでにします。ブログの引っ越しが忙しいというか 解らないことばかりでそっちに時間取られてます。本業の学習記がおろそかになりそうです。
以上
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