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刘岛/学習記:有这个必要吗?

 直射日光に当たると熱い。夏かと思う。部屋に戻るとクーラーのような風が窓から入り非情に気持ちがいい。私の一番好きな季節。釣りにでも行ったらきもち良いだろうなあ。。行きたいなあ。瀬戸内に。

 記憶が確かではないが、私は刘岛という島へ行くフェリーの上にいました。船の上で海を見てました。隣にいるのは上海の女性ローカルスタッフ。普通に考えたら非常にいい雰囲気の状況です。初めて訪問した工場の担当者はどういう訳か知らないが、下の客室から出てこない。島に着くと私は小さな島なので歩きましょうと言ったのですが、工場担当者は島内観光の2-30人は乗れそうな乗り物を動かせとやたら交渉している。いくら払ったのか知らないがその乗り物は我々3人だけを乗せて出発した。意外と距離があった。昼ご飯はビールを飲んで地域の海鮮料だった。夜もまたあるのだろうと警戒していたが、彼はHOTELには来なかった。良かったです。1日分体力がセーブ出来る。出張はまだまだ続くのですから。とにかく早く寝た。ちなみにこの工場とは付き合いを始めました。優れた工場でした。 

 学習記書くか。
有这个必要吗?このフレーズどうでしょうか。私が最初感じたのは、この’有’要るの?要らないんじゃない?这个必要吗?で良いでしょう?という疑問です。経験上、这个必要吗?で通じます。じゃあ’有’は何なのか。調べてはみたのですが解りません。単純に「これは必要ですか?」と聞いてるだけじゃなく「存在が必要ですか?」と言う意味でワザワザ付けてるのか。。。この辺りはもう限界です。みんな言ってるからそう言う。という事です。
 で、この有这个必要吗?を私だけが言ってる連述文で解説すると、主眼は当然、必要吗?です。多分これだけでも会話は成り立つ。有这个は修飾語です。似たような感じのフレーズに、有人在吗?とか没有人在。とかもあったなあ。
 初めて聞いたときは、なんとも中国的な言い回しだなあという印象。直訳すると「居る人がいますか?」とか「居ない人がいる。」とかになってしまう。でも実際の中国語はそうなのでこの辺りはそう言うしか仕方ないです。吃饱の例で、饱=お腹一杯 なんだからいちいち 吃=食べた とか言うなヨ!というのに似てる。
  書きながら思い出した。以前見たある記事に中国語の動詞は結果を含んでない。というのがあった。日本語で言う。「探した」は、探し当てたか 探し当てられなかったかの結果の意味を含んでないのに対し「買った」は既に手に入れた結果を意味を含んでいる。という解説です。なるほど、普段喋ってる日本語ですがそうだったのか。。。日本語には2種類の動詞があるという説明であった。
 思い出しはしたが、有这个必要吗?のこの’有’は何故必要なのかの疑問は全く解けない。中国語は、やたら省略するクセに、妙な部分でイチイチ言わなければならない、非常に難解な言葉です。書きながら なんかナゾが深まるばかりで疲れたので、今日ここまで。
以上

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