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だから、私の様なええかげん中国語でも、困らないです。没有人在。méi yǒu rén zài 。

学習記を書きます。

没有人在。méi yǒu rén zài 。
これ、どうでしょうか?
自動翻訳に入れてみると、「人がありません。」と出て来ました。う~ん。。。まあ、そうかなあ。。。
 以前、中国語を英語の基本5文型にあてはめるという、すばらしい挑戦をされている方が居ました。何でも思いついたことを試してみるのは、大切な事だと思う。彼ならこのフレーズ、どう分析するだろう。。。
 たぶん、整理出来ないと思う。日本語からみると英語も中国語も外国語。同じ外国語だから英語=中国語には、決してならないです。アメリカ人からしてみると、日本語も中国語も外国語。同じ外国語だから日本語=中国語にはならないです。
 各国に各国の言語の幹というか根底があり、しかもそれは国によって違う。
日本語の幹は、枝葉の説明から入り、決して結論は言わない。私が何を言わんとしてるか忖度しろ。これが日本語方式です。結局どちらに責任があるのか絶対明確にしない。
英語圏の幹は、動作主と受け手が常に意識されてて責任性の部分が明確に区分けされてる。
中国語の幹は、話題+説明です。主述文です。だから、私の様なええかげん中国語でも、「何がどう。」と言えば、通じます。困らないです。
 本題に戻ります。
没有人在。méi yǒu rén zài 。
私が、中国語にたいして持ってるイメージの”中国語は全て主述文”で分析してみますと。。。
没有人は話題。つまり主部です。在は説明。つまり述語です。
よろしくない事ですが、日本語で考えてみます。
没有人 「人が居ない。」と言ってます。これが最初に言いたい事であり、話題であり、主部なんです。どんな人が居ないの?の疑問に対する説明が「在」なんです。
有人~のフレーズも同じ構造です。
 この有人~を私は、日本語の「或る人は好きだが或る人はキライ。」の「或る人」の意味合いがあるのではないか?と辞書等調べましたが、そんな意味で説明してる箇所は有りませんでした。「有人」「没有人」は、最初に一番言いたい事であり、話題であり、主部なんです。
 一般の中国語学習書には、「有文」とかのネーミングで特殊な文として解説されてると思います。
なんですが、私の考えは違うんです。

 話変わりますが、定額減税?6月給料の手取りが増えるんでしょ?頂いときますヨ。
岸田が義務化した、給料明細に減税額が明記されてるかちゃんと確認しますヨ。増税額は明記しないクセに減税額だけ明記が義務?義務とか責任とかの意味理解してないんじゃないかなあ。。。岸田君。
 どうなるか解らないけど、蓮舫とか辻本清美とかのほうがマシじゃない?
以上

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