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題して THE 結果補語

 結果補語の例を二つあげます。
①我听懂了老师的话。 Wǒ tīng dǒngle lǎoshī de huà. 私は、先生の話を(聞いて)理解した。
②家里人都睡着了吗?  Jiālǐ rén dōu shuìzháole ma?  家の人は皆、眠りましたか?
①は 飾り+主眼です。 反対に②は主眼+飾りになってる。②は結果補語の名前のとおり が結果補語の働きをして、補足説明する形になってると言える。ナゼ①②の違いがおこるのか?この件に関する記事を見たこと無いです。

 見た事が無いので、私が書きます。
何度も書いてますが、この補語という言い方、止めましょう。廃止です。補語の役割をしてないから。
じゃあ、結果補語じゃなくて何なのか?後ろの述部が結果の連述文です。つまり、連述語飾り+連述語主眼の構成です。①は して、結果が了。②はして、結果が了 。です。これが全てです。

以上


もう少しだけ補足します。
①の文ですが、実際の会話では 「懂了吗?」「懂了。」なんて会話は普通に有ります。どうして听が必要なのか?結果の原因である動作を連述文前部に飾りとして置くキマリの様です。ナゼかは解りません。「 醉了!我喝醉了。」「饱了!我吃饱了。」っとこんな感じです。酔ったんだから飲んだに決まってるじゃん!の世界なんですが、ナゼかそう言うのです。
②の文ですが、日本語の「眠りました。」= では無いらしいです。 日本語の「眠りました。」 は、眠りに着いてるという結果を含みますが、 にはその結果の意味が無いのだそうです。従って 目的が達せられること(眠りに着いた)という結果を付け加えないと、我々がイメージしている 「眠りました。」 は、表現出来てないのです。この文、前が主眼のように見えるが、後ろが主眼です。~して、結果こうなった。といってるのだから、結果が主眼です。結局、補語の働きはしてない。他にも前が主眼に見える例文はありましたが、それらも後ろが主眼だということです。結果なのですから。つまり、一般に結果補語とよばれている物の中に補語のハタラキをしているものは無いということです。


余談ですが、こんな記事もありました。『結果補語とは、「動作+結果」の複合動詞である。』つまり 知道 、觉得 、认为 等の二文字の動詞に同列というか、近いものだという説。「なんとかを補足説明するなんとかかんとか」の説明よりよっぽどマトモだと思う。
 もうひとつ、私は学習する気の無かった頃、結果補語なんてコトバは知らなかった。知らなかったけど、 喝醉了。吃饱了。喋ってました。子供と一緒の、そのマンマ方式です。 喝醉了。 は、動詞とも形容詞とも思ってなくて、酔った時はこう言う。だけの感覚です。これらが結果補語なんだという事は学習し始めて初めて知りました。エッ? 喝醉了。 って結果補語だったの?くらいの感じです。学習し始めて迷路に入った。
 もうひとつ、これは長年中国語を耳にしてきた私だけの感想です。どこかで読んだわけでも有りません。中国語は、動詞の時制の変化が無いので時間の感覚を表現しにくいです。そこを  して、結果が了  と持ってきて時間の流れを表現してるのでは無かろうか?

今日、短いけどこれで終わります。たったこれだけの記事だけど、凝縮するのに結構時間かかったんです。疲れました。

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