G-2B790BNTEK

学習記:私、竹を割ったような性格です(横に)。

 今日は雨で涼しい。でも、毎日、熱いです!昔は、40度超なんて無かった。せいぜい、37~8度。体温を超えてるヨ!が驚きでした。昼間、直射日光の下で1時間もいたら倒れちゃいます。私も経験有りますが、朝から晩まで、真夏に外で仕事するのは命がけです。しかし、現実には仕事してる人がたくさん居ます。仕事しないと活きていけないから。道路工事とかは、外でやるしか方法がないのですから。

 学習記を書きます。今日のフレーズは、コレです。
这个地方值得一去。zhè gè dì fāng zhí de yī qù 。
私、未熟なもんで、一瞬、このフレーズを状態補語と勘違いしました。状態補語とすると、どうも不自然を感じた。どう不自然と感じたかというと、

・状態補語方式で訳すと、「値する事が一去」???
・私の状態補語理論からいくと、状態補語であるなら、「一去」が主眼でなければならないが、どうもそうは取り難い。このフレーズ、「值得」が主眼と取るとスンナリ納得です。当たり前です。「值得」は動詞ですから。「一去」 は、目的語です。 日本語訳書いときます。「この場所は(一度)行く価値がある。」 
 ここで思い出したのが、そうだ!觉得,认得,记得,懂得,晓得,免得,省得,值得,懒得,显得etc.この辺りは動詞であって様態補語では無いという事!ひとつひとつ、これらは動詞だと覚えれば良いだけなのですが、何か根本的な違いがあるハズ。それはなんだろう?私が、仮定した根本的違いを挙げてみます。(☆どれも、根本的な違いとは言えないのですが。。。一応、挙げてみます。)
①知覚動詞は、状態補語フレーズには、使われないのではなかろうか?→じゃあ、「值得」は、知覚動詞なのか?「晓得,免得,省得,懒得,显得」この辺りは、全部知覚動詞なのか?私の語彙力に問題があり、明確に断定できない。しかしながら、この区別方法は、ある程度ヒントには成ってると思う。全部、感覚的なコトバではあるので。
②「補語の位置に来るのは、形容詞に限定されてるのではなかろうか?」
 本物の状態補語と比較してみます。他跑得很快。tā paǒ de hěn kuài 。 「彼は、走るのが早い。」
→この推測は、ほとんどの状態補語例文に、はまってはいる。はまってはいるが、次の例文の様に、ほんの一部、はまってないものも有る。まあ、そんな単純だったら、文法書にそう明記されてるハズで、実際はそう書いてない。「動詞or形容詞+“得”+状態補語」となっている。状態補語の部分の品詞が何か?については、触れてない。
 次のフレーズの場合、状態補語の位置にあるのは、動詞です。補語の位置に来るのは、形容詞に限定されてるのではなかろうか?の仮定は、完全にアウトです。

看了这个电影的人都感动得流下了眼泪。kàn le zhè gè diàn yǐng de rén dōu gǎn dòng de liú xià le yǎn lèi 。日本語訳→この映画を見た人は、皆感動して涙を流した。

 ②は、完全に否定されたが、①は、だいぶ当たってるような気がしてた。
が、しかし、BUT、ストライク、たまたま引き出してきたこの例文「看了这个电影的人都感动得流下了眼泪。」の「感动得」は、知覚動詞でしょう?という事は、①の仮定もアウトだという事。

 無いアタマをしぼって考えてみましたが、いずれもハズレでした。素直に、「觉得,认得,记得,懂得,晓得,免得,省得,值得,懒得,显得etc.」は、動詞であって状態補語ではないと覚えることにします。

 素直な私で、今日終わろうかとも思いましたが、私、竹を割ったような性格です(横に)。

現実では、これらの言葉は、辞書において動詞として明記されてる。動詞として明記されてる、何らかの根拠があるハズです。それはなんなんだろう?
 私は、状態補語構造であるのか、普通の動詞+目的語(ただし、目的語が動詞。)構造なのか、別の角度で分析してみます。発生の順番から見てみようと思いました。
①まず、本物の状態補語。「他跑得很快。」→「跑得」と「很快」はどっちが先だろう?「跑得」があって、初めて「很快」です。「跑得」が無いと「很快」も「很迟」もない訳で、「跑得」が先です。

②次に、偽物の状態補語。「这个地方值得一去。」→「一去。」が有って初めて、「值得」です。イキナリ「值得」と言われても「何が?」としかならない。文章として決着しないです。「值得」は後です。

 状態補語なのか?否か?これは、発生の順番が影響してるんじゃないかなあ。。。中国語は、時制の活用変化も無いし、「てにをは」が無いので、発生の順番に厳格です。つまり語順に厳格なのです。日本語の様に語順はどうにでもなるコトバじゃ無いです。これが、正解なのかどうなのか解りませんが、なんらか影響してるのは確かだと思う。

 全体としてどう考えるべきか?私思うに、やはり觉得,认得,记得,懂得,晓得,免得,省得,值得,懒得,显得etc.は、ひとつひとつ体験して体で動詞なんだと覚えるのが、語学なんだと思う。

 日本語で「キョーツケ。」というのが有る。小学校の時、毎朝聞いた「起立」「キョーツケ」「礼」「着席」。「キョーツケ」とは、「気を付け」なのだが、当時は何も考えてない。「キョーツケ」をひとつの単語として覚たし、それで十分通用してきた。
 
 コトバって、そんなもん なんじゃないかなあ。。。

コメント

  1. ktcmn より:

    実験です。