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関係ない話:脱昭和╱学習記:連動文、どっちが主眼?

 すこしだけ、関係ない話。テレビCMで、「昭和かヨ!」と、時代遅れの会社体質を非難しているCMが有ります。私、恥ずかしながらMR.昭和です。特になんの抵抗も無く、むしろ面白いと思って見てます。
 現実の世界を見てても、本当、「昭和かヨ!」って場面有ります。以前も書きましたが、吉野家で勘定の時、カードずらり、小銭ギッシリ、厚み5cmはあろうかという財布からキャッシュで支払いする人。最後の1円2円まで、後ろで待ってる人が居ようが居まいが気にすること無く、数えて出してる。昭和かヨ!というより、大正かヨ!という感じ。
 そんな近頃ですが、私、ポイントで¥300僅かですが、株というものを初めて買いました。¥300なんですが、不思議なもので、日経平均70年とか、バブルが崩壊したのは何年だったのか?リーマンショックは何年だったのか?無意識に調べてるんです。「イカン、イカン。株は博打だ。」とすり込まれたMR.昭和の私は、身に危険を感じていたわけですが、いろいろ記事を読んで考えると、
・銀行預金金利は1990年には6.33%。(12年で、倍になる計算だったそうです。)
現在は?
・現在銀行普通預金金利は、0.001%。金利ゼロです。10年前の100万は今も100万です。

昭和ですり込まれたイデオロギーは捨て去るべきだと思う。でないと、厚み5cmの財布から1円2円と数えてるMR.大正になってしまう。ただ、私の場合昭和の概念をすり込まれてるので勝負できないんですよね~。同時に、今、日経平均自体、ニセモノの高騰(アベノミクス)の頂点のような気がする。今は買いではない。このニセモノの高騰の崩壊が起きないと。それまでは、練習を兼ねて小さく売り買いしたいと思う。潮が来たら、勝負!昭和から脱出するんどす。どうなるんだろう?私の「脱 昭和」。

 学習記書きます。
今日の主題。つぎにあげる中国語の連動文は、前が、主眼なのか?後ろが主眼なのか?です。答えを先に書きます。答えは、「両方とも、主眼ととれます。」
他来我家吃饭。tā lái wǒ jiā chī fàn 。 
下記の①②の通り、ふたつの日本語訳が出来ます。(カザリと主眼の区別も書いときます。)
①彼は私の家に来て、食事をする。(私の家に来て、:カザリ / 食事をする。:主眼)
 (来我家:カザリ / 吃饭。:主眼)
②彼は食事をしに、私の家に来る。 (食事をしに、:カザリ / 私の家に来る。:主眼)
 (来我家:主眼 / 吃饭。:カザリ)
 日本語の場合、カザリが前で主眼が後ろです。
 いっぽう、中国語の連動文は、継起性により、動作の発生順に並べなければならない。主眼がどこにあろうが、「来我家吃饭。」の語順は、変えられない。
日本語の場合、主眼だけ意識して、それを最後にもってくれば良い。中国語も主眼は当然、意識はしてると思う。思うが、その位置は、前にいったり後ろにいったりする。「発生順に並べる=後ろが主眼。」最後に発生した事が結論でしょう?と私は考えましたが、それはどうも間違いです。前が、主眼だったり、後ろが、主眼だったりするのです。
 中国語を聞くときも読むときもこんな事はイチイチ考えてません。ただ感覚だけでいってます。
我有一个朋友会说广东话。wǒ yǒu yī gè péng yǒu huì shuō yǎn dōng huà 。私には広東語を話せる友人がひとり居る。
 日本語で考えると「~~が、居る。」と最後に「居る」と言いたいわけだが、中国語の場合「居る」と結論を先に言う。何が居るのか?どんなのが居るのか?は後からカザリます。
 もう、この辺りだと、私の場合は、当たり前に入って来ます。何も考えて無いです。日本語も考えて無いです。我有一个朋友会说广东话。と考えてます。どうやって、自分は、このフレーズを理解してるのだろう?妙な話だが、自分がどう考えているか、分析してみました。我有一个朋友:主眼と考えています。会说广东话。:カザリ(付け足し)と考えてます。次にどうやって、そう考える様になったのか?を考えてみます。「有」文と言うのは、特殊だと本に書いて有りました。普通カザリは前だが、後からカザルと有りました。何回も「有」文に遭遇するたびに、それを思い出しているうちに、条件反射で有~の部分が主眼だと、もう当たり前になってしまっている様です。
 中国語には、この「用」文パターン結構あります。
1)兼語構造のパターン
欢迎大家来到西安。huān yíng dà jiā lái daò xī ān 。前回のブログに挙げたフレーズです。世間では、兼語文とは認められてない様子だが、「大家」が目的語と主語を兼ねているという点で、兼語構造であることは間違いない。
→欢迎大家:主眼と考えてます。来到西安。:カザリ(付け足し)と考えてます。考え方としては、「有」文とまったく同じです。「有」文と同じ方法ですり込めば、自然に入ってくるようになると思う。私の場合、意味は解ります。解りますが、違和感を感じる。「有」文ほど、ナチュラルに入ってこない。まだ、スリコミが足らない様だ。
★ただし、世間で言われる兼語文と言うものは、全てこの要領で、自然に入ってくるようになると思う。
2)後ろが目的パターン(~するために~)
他来我家吃饭。tā lái wǒ jiā chī fàn 。文頭に挙げたフレーズです。
来我家:主眼と考えている。吃饭。:カザリ(付け足し)と考えてる。
「有」文とまったく同じです。
私の場合、来我家:カザリ 吃饭。:主眼 と考える場合も有ります。「他は来我家して吃饭。した。」です。どっちで考えてるか?テキトウです。全体の流れです。
 でも、よく考えると、どちらに取ろうと、会話に支障は無いです。実際やってみましょう。
問:彼は何故あなたの家に来るのですか?

答え①:彼は、私の家に来て、食事をします。
答え②:彼は、食事をしに私の家に来ます。
①も②も、しっかり答えになってます。
どっちでも通じる日本語を中国語は一つにまとめているとも言える。(まあ、別の表現方法も有るが。。。)それとも、一つの中国語を二通りに表現出来る日本語は、表現力が豊富なのか?。。。
なんなんだかなあ。。。

結局、主眼は、どちらなのかハッキリしません。敢えて言うなら、いくつかのパターンでは、主眼は、前に成る。と、言うこと。そのいくつかのパターンは?どうやって。。?

今のところ、一つ一つ覚えるしかないのかなあ。。。
今日、終わります。

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