私、社会人になった最初の頃のある日、社長と会話する機会があり、「私は、テレビは見ません。」と言った。テレビを見ないとは何事ダ!猛烈に怒られ、ダメ社員のレッテルを貼られました。
テレビって、半分近くコマーシャルです。それを見ないにしても、私が知りたい見たい事は、くだらないコマーシャルを見ながら、待ってないとイケない。あげく、知りたい見たい事は、出てこないかも知れないのです。 待ちの姿勢です。自分が知りたい情報を只、放送されるまで待ってるんです。なんと言う時間のムダ!それを言いたかったのですが、たまたま運よく日本の高度経済成長の波にのった社長は、それを自分の実力と信じてるし、新入社員の考えを聞くような考えは一切ない。頭が鉄なのです。社長、時代が違うんですよ。と言いたかった。
要は、彼らにとって、テレビとか電話とかは神器なのです。テレビは、必ず見ないとイケない。でないと、世間の流れから取り残される。考えられます?この思考回路。
電話も、かかってきた電話は即座に取らなければならない。電話をかけてきて頂いた方に失礼になる。神器ですから。まあ、会社で電話がかかって来た場合はそうだと思いますが、会社にしろ個人にしろ、電話をかける場合、私の考えは違います。電話をかけるのは、相手の時間を奪うという事です。電話かけちゃダメです。よほど緊急を要する時以外、メールで済むと思う。電話で仕事なんかできません。一日中電話してるひとが社内にいたら、その方は仕事を一切しないで仕事をしたフリをしてる。相手してる人はタイヘンだと思う。神器だから、電話してたら仕事してるように見えてたんです。昔は。
教えてあげたい!現代の神器はコンピューターなんですヨ?知ってます?と。
話変わって、先日コオロギが鳴いてるのを聞きました。夏って短いんですね。。。私は、夏が終わると寂しくなります。メランコリー。
学習記でも書くか!
嗯,这张照片啊我觉得照得最好,是值得纪念一张。
ēn ,zhè zhāng zhaò piàn a wǒ jué de zhaò dé zuì haǒ ,shì zhí de jì niàn yī zhāng 。
どうでしょうか?入って来ますか?
ある程度、語彙力があれば入ってくると思います。
私が、記事に挙げた理由はココです。是值得纪念一张。
不自然を感じませんか?良くある解説に「強調の是」とかなんとか、説明に成って無い説明をしている記事を多く見かける。「強調の是」ってなんなん?強調の~とかいう説明を見ると、私は、説明を誤魔化してるとしか感じない。説明を放棄してます。
解りました。ココは、長年、テキトー中国語で乗り切ってきた私が解説しましょう。是、值得と、はだかの動詞が並んでます。值得は、厳密には、はだかの動詞じゃないかも知れないが、值得で辞書には動詞と載ってる。はだかの動詞が並んでると取って良いと思います。しかし、以前も書いたが、一部の例外を除いてはだかの動詞は並ばないハズなんです。
例外として、私の別記事を引用します。『動作状態助詞という「了」「着」「过」をともなう場合がある。 煮了吃 zhǔ le chī 茹でて(から)食べる。
もう一丁、結果補語も例外ですね。動詞がはだかで重なってる。买到,看见,听懂……』
もしなんなら読んでみてください。
話戻って、はだかの動詞は並ばないハズなんです。でも、このフレーズは並んでる。結果補語でも無いし、「了」「着」「过」もともなってない。つまり、目的語なんです。
是:述語。值得纪念一张:目的句 です。解るかなあ?どう説明すれば良いのか???つまり、このフレーズの構成は,我是日本人。と全く同じだという事を私は言いたいのです。
「強調の是」なんて、変な説明が横行してるが為、迷路に入って出られない日本人が多数いると思います。「強調の是」は、有るのかも知れない。有るかも知れないが、このフレーズに関してはあり得ない。単なる 是:述語 值得纪念一张:目的語(目的句) の関係です。
以上
書きたい事が山積みなんですが、今日、終わります。
いろいろあるんです。
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