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入乡随俗。/学習記:’把’構文

「うっせ~ うっせ~ うっせえワ~。」私の職場近くの飲み屋から聞こえてきた。いつも古い曲ばかり流れてるので、ふ~ん こんな昔の歌もあったのかあ。知らないなあとか思ってたのですが、新しいんですね。なんて痛快な歌なのでしょう。あの人をなめたようなフザケタ歌い方と曲が歌詞にもろに合ってる。よくぞ言ってくれた!って感じです。みんな歌いたい歌だと思います。聞いてて気分がスッキリするのは私だけか。。。ネットで探ると中国語が画面の下にふってありました。中国でも流行ってるのか?驚いたのは、歌ってるのは高校生らしい。ほんとー?

 ネット環境のほうですか?ネットの勉強って終わりが無いですね。analyticsやっと繋がったとホットとしてたのですが、なんでもanalyticsとconsoleは連携出来るらしい。連携すると何ができるのか知りませんが 知るとやりたくなるのが人情。早速作業を進めようとするとanalyticsの画面にあるハズのconsoleの項目が無い。調べていくと私が使っているのはanalytics4なるものでユニバーサルアナリティクスではない。ユニバーサルアナリティクスじゃないと連携ができないらしい。仕方ない。また調べながらトライ。ユニバーサルアナリティクス導入まではなんとかできました。残るはconsoleとの連携です。ユニバーサルアナリティクスの画面は何もデータが無い状態なので、しばらく様子をみてそれからconsoleとの連携作業をすることにする。何もデータがでないという事は、正しく繋がってないのではなかろうか??どんどん深みにはまって、解らなくなって行く。

 春節休みに入る前日の最終営業日まで工場にいた私は、いよいよ帰国です。帰ったらまず南海そばで天ぷらそばを食べるか。。みなみで鍋を食べに行くか。。帰国の時は帰ったら何を食べるかばかり考えてた。シンセンの罗湖から中国を出国しますが、恐ろしく混んでいるらしい。朝一でイミグレーションを抜けるつもりで、罗湖の駅の真ん前のHOTELをとり前日に移動を済ませた。ホテルはシャングリラだったと思う。工場がある所はイナカなのでまともなHOTELが無い。久々のまともなHOTELだったが、ゆっくりは出来ない。朝4:00に駅に行った。外からみると真っ暗です。駅につくとものすごい人の数。駅の入り口でこの状態だから奥の奥にあるイミグレーションなんか見えないし、だいたい、列の最後尾が解らない。並んでいるのか列無く群がってるのかも定かでない。列らしきものをたどって最後尾を探す。それらしきところでひたすら待つ。香港発の飛行機の時間に間に合うのだろうか?3時間くらい待ったか。やっと私の出国審査の番まであと5-6人、飛行機は10:40発だったと思う。果たして間に合うか?如何せんこの人込み。まさしく人山人海です。その時並びもしないで後ろから来た人間が、スッと審査カウンターに入る。横入りです。審査官は何も言わず、スタンプをおして通す。周りの人もなにの文句も言わない。どうも特権階級らしい。2-3人通過するとまた横入りの人間が入る。周りは何も言わない。いよいよ次は私の番、気持ちが急いでる私は前のひとが終わると同時にカウンターへ入ろうとした瞬間、スッと横から私の前に入る人間がいる。私は彼を押しのけ自分のパスポートを審査官に差し出した。審査官は私のパスポートを受け付けない、そして私が押しのけた人間の出国審査作業に入る。どうしようもないので彼の処理が終わった後、再度パスポートを出すと、審査官は私にパスポートを押し返し、「最後尾に並べ!」と言ってる。「うっせ~ うっせ~ うっせえワ~。」スイマセン。この歌まだこの世にありませんでした。どうしたか?無視してイミグレを通り越し「領事館に電話するから電話を貸せ!」日本語でまくし立てた。先ほどの審査官は私にパスポートを出せと言い、スタンプを押した。注意です。くれぐれも言っときますが、私のような行動をとっては駄目ですヨ。ここは中国です。中国には特権階級は横入りができるというルールがちゃんとあるのです。郷に入れば郷に従え。入乡随俗。です。ヘタすると拘束される。

 学習記書きます。
我把那本书看完了。一般に’把’構文といわれるものです。
目的語を前に持ってこれる。日本語と同じ並びにできるのが魅力だと書いてある。私 我看完了那本书。だけで良いです。魅力どころか他の言い方があるだけでめんどくさい。このふたつの文ですが、言いたい事のニュアンスが違うだけで基本的に同じ意味です。この文をみて私が思うのは、目的語とは結局、修飾語なのだという事。把那本书という修飾語で代用できてるわけですから。。じゃあ、修飾語と目的語の違いは?位置?この件、今日結論出ません。解ったのは、文によっては 目的語は修飾語で代用が可能であるという事実。この構文、述語部分に’了’をつけなければならないとか、あるいは補語をつけなければならないとか、あるいは動詞を重ね方にしなければならないとかあるみたいです。まあそのあたりの枝葉はいろんなフレーズに遭遇しているうちに我把那本书看。だけでは物足りないというか、不自然というか、感じる時が来ます。
 例えばですが、’没’と’不’の使い分けも、’没’を使うべきか’不’を使うべきかは、そのうち自然に出てきます。いちいち考えてしゃべってる人いないです。ある程度子供方式の覚え方を利用しないとキリが無いと感じてます。理屈がないと気が済まない大人は、枝とか葉っぱじゃなく幹の部分に理屈をつけるべきです。枝葉の部分はいくら大人になったなったとはいえ、まだ子供方式の覚え方ができるハズ。

 今回の学習記なんか薄いなあ。でも私 ネット環境の整備で忙しいので今日は切り上げます。ネット環境のほうが少しみえてきたら、すぐ書きます。あ~忙し。

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