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学習記:結局、「なにが、どう。」文法だったのか。。。?

 最近、中国語学習を始めてから思うのだが。。。リクツを考えすぎる様になった気がする。テキトー中国語時代の私は、中国語って、「なにが、どう。」と表現すれば通じるもんだなあ。。と漠然と思ってた。「なにが、どう。」で全てをイメージしてた。聞いて解って、それを少し喋れたら、もう何の問題も無くて、主語だ、述語だ、目的語だとか一切考えてない。なんのリクツも考えてなかった。
 誰から教わった訳でも無く、日常会話のなかで自分で勝手にイメージしてた「なにが、どう。」文法というのは、それほど的外れでは無かったような気がしてます。今日、ナゼ当時の「なにが、どう。」文法をもちだしたかというと、学習する程、最終的にこの「なにが、どう。」文法に行き着くからです。どのように「なにが、どう。」文法に行き着くのか。。。

 まず、基本ですが、中国語は全て主述文です。つまり全て主語+述語だという事です。

 主語というと、英語のSV,SVO、SVC、SVOO,SVOCのSを連想するが、英語のSと中国語のSは全く違いますので英語と同じと考えると、たちまち矛盾に遭遇します。
例えば、书看完了。shū kàn wán le 。(本は、読み終えた。)
书は、英語的に考えるとOなのではないか?じゃあ、ナゼ文頭に位置してる。。。?もう迷路に入りました。英語は英語。中国語は中国語。全く別モノですので英語は持ち出さない方が良いです。中国語が英語と同じというのは、中国語知識の無い人たちが言ってる迷信です。
 確かに迷信なんだが、日本人の大部分はSというと英語のSしか知らない。これしか知らないのだからそう考えてしまうのは当たり前です。英語のSは動作主です。しかし中国語のSは話題です。話題になるなら何でも主語になってしまう。大部分の中国語教本は、ココの説明なしに、いかにも読者はココの違いを理解しているかのように、イキナリ主語だの述語だのと説明が始まる。即、迷路に入る。抜けられない迷路に。英語を先に学習してしまった日本人は、中国語を学習し難いのです。イキナリ主語だの述語だのと説明されても主語の意味自体を誤解してるのだから、当然の成り行きとして迷路にまっしぐらです。先にここの説明さえあれば、迷路に入る日本人は大幅に減ると思う。

 主述文とは、「話題+説明」です。书看完了。を分析すると、

看完了。
話題説明

となる。これで立派な中国語になってるという事です。つまり「話題」と「説明」さえ区別して掴めれば、読んで理解できるし、話せるということ。テキトー中国語時代の私は、中国語の主述文「話題+説明」を「何がどう。」文法という形で、まるで子供がコトバを覚えていくかのごとく自然に体得してたような気がする。

 今日の要点をまとめると、中国語の主語は、英語の主語=動作主とは全く違い、話題であるという事。何でも話題になり得るという事です。

 何も考えないで入ってくるフレーズは問題ないのです。それでOKです。入ってこないフレーズに遭遇した時です。そんな場合、基本にかえって、主述文「話題+説明」で分析してみたらどうでしょうか。。。

 きょうの例文を挙げます。このフレーズどうでしょうか?自然に入ってきますか?
玉皇大帝听了以后,就决定这家人在新的一年里有吃的或者没有吃的。
yù huáng dà dì tīng le yǐ hòu ,jiù jué dìng zhè jiā rén zài xīn de yī nián lǐ yǒu chī de huò zhě méi yǒu chī de 。

玉皇大帝听了以后,就决定这家人在新的一年里有吃的或者没有吃的。
話題説明
主部述部
述部目的部

①通常やってる、主部と述部の分析ですが、きょうは、あえて話題、説明と、表現してみました。
玉皇大帝听了以后,を話題としました。私はここが話題だと思います。
② ①の表現を変えただけです。
③述部の分析です。

書かないでおこうかとも思いましたが、日本語意訳も書いときます。
これを聞いて、天帝は、各家の新しい年の食事のあるなしを決めるのです。

今日、ここ迄。

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