G-2B790BNTEK

最近はまった事/学習記:「好学。」と「容易学」

 ブログが2週間も空いてしまった。よろしくないです。ブログは発信してナンボです。とにかく発信しないと。。。サボってたわけじゃ無いんです。記事は書いてます。書いてますが、納得出来なくてボツにする、又書いてダメダメこんな記事じゃ!もっと渾身の一撃じゃないと!でボツにする。そんな感じで2週間経過してしまいました。渾身の一撃も良いが、ブログって発信してイクラですよね!とにかく記事を書かないと。。。といいつつ、最近、あるものにハマりまして、そっちに時間を奪われておりました。その辺、別枠で書いても良いのですが、書き始めたので書きます。
 一般に「ポイ活」と言われてるものです。1%? 0.5%? そんな1円2円なんてどうでも良いよ!現金で払うのと同じでショ?というのが、以前の私でした。そんな私がナゼ「ポイ活」に参入したか?ポイント自体に興味が無かったので、知らないうちにある程度たまってしまった。それを消化したら、一か月の生活費が半分以下になった。そのぶん預金残高となる。衝撃です!それに、たかが1%? 0.5%?と思ってた世界がハマっていくと、ある段階で増幅するんです。ランクが上がったり、還元率の高いカードに変えたりで、固いところで3%までは行けると思う。もっとハマればそれ以上行きそうな感じです。私、吉野家へ行ったら、レジの真横の席に座ります。どんな人がどんなポイントを付けてどんな支払い方をするか見てるんです。驚いたのは、現金支払いをしている人のなんと多い事か!カードがぎっしり入った財布から、現金を取り出して小銭まで10円5円と数えてるんです。但しポイントカードは提示するのです。ネット社会にどっぷり浸かった人間が、電卓と手書きの人をみるような衝撃です。イヤ、そろばんかも知れない。なんと表現すればいいのか、「お風呂は、もうマキで炊く必要はないんです。」と教えてあげたくなる。私の勤め先ににも、更にもっとパワーアップした偉大なる原始人の大先輩がひとり居ますが。。。年寄りばかりじゃなくて、意外と若い人も居ます。
 そんなわけで、このカードつかえるなあと思ったら、申し込むし、途中で違うと思ったらキャンセルするし、とにかく時間を食う。私のポイ活方針のひとつを書いておきます。年会費ゼロのカードしか作りません。得意げにポイ活について書いてますが、実際、ポイントというのは僅かです。その僅かの為に年間1万も2万払ってたのでは、成り立たないです。単なる錯覚に終わってしまう。研究にも熱が入り2週間経過してしまいました。逆に、1本書くのに2週間くらいは、必要なのではないか?とも思う。

 学習記、書きます。
最近市场竞争很激烈,生意很难做啊。
zuì jìn shì cháng jìng zhēng hěn jī liè ,shēng yì hěn nán zuò a 。
構造も非常にシンプルで、なんの疑問も無いしそのまんま入ってきます。(複文では有りますが、今日は複文については触れません。複文については、別に記事書いてます。)
 ワザワザ記事にしたのは、「很难做」コノ部分です。丸ごとで、「し難い」の意味で、私は慣れきってます。なんの疑問も有りません。「难学」「难走」「难办」と単語かのように、丸ごと覚えてるからです。但し、辞書で引いても出てきません。辞書に出て無いという事は、単語じゃありません。構文です。既に慣れ親しんで、なんの不自由も感じないこの「很难做」をあえて分析しようというのもナンセンスな話かもしれませんが、分析することで、中国語の世界が整理されて、さらに拡がると思うんです。
 「很难做」分析します。
「难」は、動詞の意味も一部あるが、ふつう一般的に形容詞です。「做」は動詞です。つまり形容詞+動詞 の述語が重なった連述文(この世で私だけが言ってる。)です。動詞が重なってるワケではないので連動文では有りません。私が作った連述文の定義前か後のどちらかが主眼、他はカザリ。でいうと、「很难」が、主眼です。ナゼ前の「很难」が主眼なのか?ナゼ連述文の主眼は前になったり後ろになったりするのか?別記事でこの点、追窮しましたが、最終的に解りませんでした。多分、時間が関係してるように思います。中国語は、単語の羅列なので、時間表現ができないのです。起こった順番に表現するしかないのです。「てにをは」のある日本語のように自由に順番を入れ替える事が出来ません。「很难」という主眼(=時間的に後)があって、「难学」「难走」「难办」と枝葉がついていく。
 なんでこのような事を書いているかというと、以前、私、「好学。」を「容易学」と同列扱いして、前が主眼だと勘違いして前主眼だと信じ切ったのです。でも文章が成り立たないです。(別記事書いてます。)「好学。」は「好好学习」の意味で後ろ主眼だったんです。全く逆だから文章が成り立つわけが無い。
 一方、どう取っても成り立つ文があるから更にややこしい。
我去玩儿。→前主眼:私は遊びに行く。
→後主眼:私は行って遊ぶ。
どっちとも取れるし、どっちでも意味に大差がないので、実践でも両方通じる。 

 文頭の例文、日本語意訳、書いておきます。
「最近、競争が激しくて、商売がなかなか難しいですね。」

今日、終わります。



コメント