G-2B790BNTEK

LET IT BE./学習記:存現文

 諸々、ピンチな事柄が発生してしまいまして、ブログが飛んでしましました。
兎に角、ブログを書くとかいう優雅な時間が取れない状況にハマってしまいまして。。。
今は、なるようになる、開き直って、書いてます。LET IT BE.ですね。どうなることやら。。。

 何度か書いたこと有るんですが、存現文について、まとめの意味も込めて書こうと思います。
存現文とは、存在文と現象文を合わせて存現文の事です。ややこしいので、存在文だけを考えてみます。

ある説明には、
桌子上 放 着 一本书。 机の上に本が一冊置いてある。

「場所/時間+動詞+“着”+人/物」の形をとる。※中検4/3級レベル
とある。
1)違和感1

 「場所/時間+動詞+“着”+人/物」の形をとる。このワケの解らない説明は何なのか?

 普通、どこどこが主語でどこどこが述語と説明するハズ?

→要は、主語というコトバを使うと、それは主語じゃない!とか、批判が発生するので主語という単語が使えないのです。苦肉の策で場所/時間+動詞+“着”+人/物」の形をとる。という説明になってるんです。NHKの中国語番組もそう説明してます。
→私の考えというかイメージですが、桌子上は、完璧に主語です。放 着 一本书。は述部です。単なる単純な主述文です。場所/時間+動詞+“着”+人/物」の形をとる。とかの説明はしちゃイケないです。中国語の主語は、英語の様に仕手のイメージでは無いです。中国語の主語は話題です。話者が一番言いたい事です。話題だから、何でも主語になります。受け手も主語になります。

2)違和感2

「机の上に本が一冊置いてある。」この日本語訳では、「机の上に」は、修飾語かの様な雰囲気を感じます。
違います!
→私が訳します。

「机の上には、本が一冊置いてある。」こう訳さないとイケナイ。「机の上に」は、主語です。「本が一冊置いてある。」は述語です。単なる単純な主述文なんです。存在文とか現象文とか存現文とかいう、コトバは一切必要無いんです。

 この単純な単なる明らかな主述文を、存在文か現象文か知らないが、何故ワケの解らない説明が公に通用してるのか?
それが、私は不思議なんです。

私、ブログ書いてる場合ではないので、短いですが終わります。
以上



コメント